2023(令和5)年度
共同研究課題
2023(令和5)年度共同研究課題一覧
- 別役実草稿研究(梅山いつき)
- 倉林誠一郎旧蔵資料の調査研究(後藤隆基)
- 「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究(岡田秀則)
- 江口博旧蔵資料にみる戦時下から戦後の舞踊(宮川麻理子)
- 日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究(Björk, Tove Johanna)
- GHQ占領期における地域演劇の実証的研究
――九州地区を中心に (小川史) - 栗原重一旧蔵楽譜を中心とした楽士・楽団研究
――昭和初期の演劇・映画と音楽 (中野正昭) - 常磐津節正本板元坂川屋の出版活動(竹内有一)
- 歌舞伎の「解説」の歴史と変遷
――観客に供せられたメディア (渡邊麻里) - 演劇博物館所蔵落語・講談関連資料の調査・研究
――田邉孝治旧蔵資料を中心に (赤井紀美) - ⽇英の⼥性劇作家・劇評家たち
――16世紀中頃から21世紀まで (石渕理恵子) - 太田省吾関連資料研究
――2023 年度早稲田大学演劇博物館特別展に向けて (金潤貞) - 大和屋竺旧蔵資料の調査研究(川﨑佳哉)
- 撮影所システム衰退期におけるプログラム・ピクチャーの実態研究(鳩飼未緒)
テーマ研究課題1
別役実草稿研究
代表者
梅山いつき(近畿大学文芸学部准教授)
研究分担者
岡室美奈子(早稲田大学文学学術院教授)
宮本啓子(白百合女子大学国語国文科非常勤講師)
課題概要
本研究は、別役実家から寄贈された資料および、演劇博物館が所蔵している別役作品に関連する資料の調査を通して、別役の劇文体、及び劇作品における人物表象について検証するものである。2023年度は前年までの調査を引き続き行うと共に、別役が脚本を担当した放送作品を取り上げ、作品分析を行いたい。別役だけでなく、佐藤信や山元清多などの小劇場第一世代を代表する劇作家の多くがテレビやラジオの脚本を手がけていたが、いまだ十分な研究はなされていない。そこで本研究では寄贈資料に含まれていた台本等の関連資料を調べ、別役がどういった放送作品を世に送り出し、演劇作品とはどのような関連性があるか考察したい。
研究成果の概要
まず、継続調査として未整理資料の調査および、文芸作品や童謡、民謡などの唄が70 年代以降の作品に与えた影響について検証した。一点目の未整理資料の調査は、宮本啓子が中心となって、バラバラの状態で寄贈された戯曲『マクシミリアン博士の微笑』の手稿等を整理した。
二点目については岡室美奈子が戯曲『あーぶくたった、にぃたった』(以降『あーぶくたった』)における深沢七郎の小説『楢山節考』の影響を論文としてまとめ、『演劇研究』に投稿した。本論文は『楢山節考』が別役に与えた影響を、「貧困」「餓死」「雪」をキーワードとして『あーぶくたった』の中に探ることを目的とするものである。別役は、戯曲『そよそよ族の叛乱』において、餓死することで社会に対してささやき続ける「そよそよ族」という沈黙の民を構想した。岡室は、その思想が後に発表される『あーぶくたった』に結実していくことを指摘し、その過程に『楢山節考』からの少なからぬ影響が認められることを明らかにした。それは、『楢山節考』において、山に捨てられる「おりん」という登場人物を通して描かれる、貧困の村で自らの死を積極的に受け入れ、雪と沈黙に閉ざされていく姿と歌の力である。
本論文は、『楢山節考』を介して、一見、断絶しているように見える、70年代の抽象的な戯曲と後半の小市民ものと呼ばれる一連の作品の間に連続性を見出し、そこには社会によって作られながら社会によって隠蔽される「貧困」へのまなざしが一貫して注がれていることを指摘した。
放送作品研究としては、テレビドラマ『星の牧場』(NHK 総合、1981年)と映画『戒厳令』(監督・吉田喜重、1973 年)を取り上げ、映像とシナリオとの比較を行った。『星の牧場』は庄野英二の同名の小説を原作とするが、脚本化するにあたって、別役が戦争および終戦後の社会に焦点を当てていることがわかり、演劇作品にみられる特徴との連続性が明らかになった。さらに、別役の独特な台詞は、演劇と映像メディアにおけるリアリズムの差異を際立たせることを発見し、今後、別役の放送脚本をメディア論的に分析していく際の重要な視座を得た。『戒厳令』については、主人公の北一輝に関する資料が寄贈資料の中にあるため、今後、そうした関連資料とも照らし合わせて、作品分析を進めたい。
以上のように、本研究では別役関連の寄贈資料を活用し、別役研究に新たな知見をもたらすことができた。本成果を今後の研究に活かしていく所存である。
(左)〈そよそよ族〉レポート②(ノート『備忘録』に記載)[64362_026]
(右)『星の牧場(前編)』台本[タ 06-05962-001_001]
テーマ研究課題2
倉林誠一郎旧蔵資料の調査研究
代表者
後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)
分担者
神山 彰(明治大学文学部名誉教授)
米屋尚子(文化政策・芸術運営アドバイザー)
課題概要
敗戦直後の1946年に俳優座に入団した倉林誠一郎(1912~2000)は、56 年に俳優座劇場を設立し、81年に代表取締役に就任した。また、65年には日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の設立に参画し、舞台芸術における実演家の権利保護や文化活動の支援、政策提言等に多大な影響を及ぼした。本研究では、前年度以来の倉林旧蔵資料の調査・考証を継続し、とくに戦時下の移動劇団や訪中新劇講演等に関する研究を行うとともに、戦後演劇の基礎的研究を進める。
研究成果の概要
本年度は、前年度に引き続き、厖大な資料群の収められている段ボール箱を一箱ずつ開梱し、中身の確認・整理・調査等の作業を進めた。
具体的な調査のために、藤谷桂子、佐久間慧(以上、研究協力者)の助力を得て、資料の性質ごとに整理と分類、登録を進め、目録作成作業を継続した。改めて、倉林誠一郎旧蔵資料の概要を確認しておくと、倉林のご遺族から芸団協に預けられた資料の総点数は6,523点であった(演劇博物館に寄贈される前の調査段階)。そのうち、重複等による非受入資料(図書および雑誌3,519点)を除く3,004点を演劇博物館で受け入れた(図書:387点/雑誌:835点/博物資料:1,782点)。その内容を大まかに分類してみる。
①日記、②自筆メモ・日誌・ノート、③書簡類、④俳優座・俳優座劇場関係資料、⑤各種演劇関連団体関係資料(書類・冊子等)、⑥舞台写真(ネガフィルム等を含む)、⑦スクラップブック、⑧公演プログラム、チケット、⑨チラシ、ポスター等、⑩新聞雑誌の切り抜き、⑪図書・雑誌、⑫各種資料の複写物等々。
前年度以来、これら多岐にわたる未整理資料を、順次確認しながら、倉林がとくに関心を寄せていたテーマ―入場税、文化政策、労演、興行史等―について、具体的に考証が可能と思われる資料の抽出作業を進めた。しかしながら、厖大な資料群の選別作業は困難であり、個別具体的な考証を継続しつつ、目録の整備等の基礎的作業を中心におこなった。
それをふまえて、本年度は、本プロジェクト研究代表者が2021年度から実施してきた科学研究費補助金基盤研究(C)「倉林誠一郎資料の調査・考証に基づく戦後新劇の基礎的研究」(研究代表者・後藤隆基 課題番号21K00199)と連動する形で、倉林旧蔵資料のうち、1947年6月から2000年3月まで書き継がれた日記(全79 冊。なお、本プロジェクトは日記以外の資料を対象に整理・調査を進めている)に関わる資料を選定し、整理・調査を試みることとした。
とくに、占領期に書かれた日記(1947~1952)の翻刻作業をおこなっていたため、同時期の日記の記述を補完しうる資料の選定をおこなうとともに、上記の科研費事業との共催シンポジウム「占領下新劇裏表―倉林誠一郎日記を読む」(2024年2月10日/於:立教大学)を開催した。神山彰(明治大学名誉教授、本プロジェクト研究分担者)、児玉竜一(早稲田大学演劇博物館館長、本プロジェクト研究協力者)、後藤が登壇。倉林日記を視座に、同時代の映画等も射程に入れながら、興行としての戦後新劇の様相や経済的側面に肉迫し、従来の新劇(史)観を再考するための問題提起の場とした。
以下、今後の展望について述べる。前述した科研費事業が本年度で最終年度を迎えることから、次年度以降、日記も含めた倉林旧蔵資料全体を対象とするテーマ研究として体制を再構築し、倉林誠一郎という総体を明らかにするとともに、その位置づけや戦後新劇の動態について講究していく予定である。なお、前年度に整理、考証に着手した訪中新劇公演関係資料、瑞穂劇団日誌に関して、今年度は詳細な調査・考証を進めることができなかったため、次年度以降の検討課題とし、他の資料の発掘と調査もふまえて、研究を遂行していく計画である。
テーマ研究課題3
「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究
代表者
岡田秀則(国立映画アーカイブ 展示・資料室主任研究員)
研究分担者
紙屋牧子(武蔵野美術大学非常勤講師)
柴田康太郎(日本学術振興会特別研究員PD)
課題概要
本研究は、演劇博物館所蔵の映画館チラシの目録化・分析を通じた、戦前期日本の映画興行の諸相を実証的に解明することを目的とする。先行の公募研究「映画宣伝資料を活用した無声映画興行に関する基礎研究」(2020−2021年度)で東京の都市部の映画館に関する研究成果を蓄積してきたことを踏まえ、関東・関西におけるそれぞれの映画興行の実態の考察を進める。そのうえで、東西の興行スタイルに関する比較研究も目指す。
研究成果の概要
本年度は、2022年度より開始した映画館チラシ(東京93点/大阪137点)の目録化を継続的におこないつつ、関連資料も含めた考証作業を重点的に進めた。また、先行する2020-2021年度の公募研究との連関性のあるテーマを各自が設定したうえで、調査・検討をおこなった。その成果公開として、柴田康太郎は奈良尾花劇場関連資料に着目して口頭発表「地方都市における
映画館経営と映画興行―大正期の尾花劇場関連資料を中心に」(日本映像学会第49回大会/ 2023 年6月11日/於:明治学院大学)をおこなった。また、紙屋牧子は映画館チラシと現存フィルムの分析から着想を得た研究として、論文「明治末期から大正初期の大衆文化におけるサディスム/マゾヒズムの間テクスト的考察―『五郎正宗孝子伝』(1915年)を起点として」(『映像学』第110 号、日本映像学会、2023 年7月)を発表した。
岡田秀則は、「全国映画資料アーカイブサミット2024」(2024年1月26日、オンライン)の企画作りに参画し、国立映画アーカイブにおける映画関連資料の保存・公開事業の取り組みに関する発表もおこなった。
2023年12月11日には、小野記念講堂にて当チームの数年間の活動の成果を活かした映画上映とシンポジウム「甦る、琵琶映画の響き」(2023年度日本音楽学会音楽関連イベント開催助成)を開催した。イベントは、少なくない数の映画館チラシにその実践が窺える映画琵琶の実践に光をあてながら、大正期の無声期映画興行において宗教・映画・音楽がどのような実践を織りな
していたのかを検討した。第1部のシンポジウムではまず、映画史の立場から、紙屋の口頭発表「映画『日蓮上人 龍乃口法難』(1920年)を考察する―聖地巡礼と〈奇跡〉の表象」と上田学氏(神戸学院大学)の口頭発表「日蓮主義宣伝映画と立正活映」で、1920年代における宗教と映画の関係を検討した。次いで、音楽学の見地より、薦田治子氏(武蔵野音楽大学)の口頭発表「大正期の琵琶文化」、および柴田の口頭発表「琵琶映画台本と映画琵琶団体」で、大正期における琵琶楽の潮流、映画興行との交差を考察した。
第2部には、小松弘氏(早稲田大学)所蔵の映画琵琶台本を活用して、『日蓮上人 龍乃口法難』(1920年、国立映画アーカイブ所蔵)を、薩摩琵琶(川嶋信子氏)、映画説明(片岡一郎氏)、邦楽(堅田喜三代氏)とともに
「復元」上映する試みをおこなった。上映後は、演者の川嶋氏・片岡氏・堅田氏を囲んだトークにより、琵琶入りの「再現」上映の可能性や課題を議論した。
(左)上映とシンポジウム「甦る、琵琶映画の響き」チラシ
(右)上映とシンポジウム「甦る、琵琶映画の響き」(於:小野記念講堂)上映後のトークのようす
公募研究課題1
江口博旧蔵資料にみる戦時下から戦後の舞踊
代表者
宮川麻理子(立教大学現代心理学部映像身体学科助教)
研究分担者
北原まり子(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
Lamolière, Maëva(パリ第8大学舞踊学科博士課程)
課題概要
本研究は、「江口博旧蔵資料」(舞踊関係の写真・新聞記事スクラップを中心とする280点)を調査し、政治的変動が著しい昭和期を通じた日本の舞踊界の姿を描き出すことを目的とする。江口博(1903-1982)は、戦前から戦後にかけて半世紀にわたり舞踊批評を執筆し続けた。本研究がとりわけ注目するのは、1930~40 年代という戦中期の資料の充実と江口の活動期間の長さである。激動の時代、そして昭和期を通じ長きに渡り、舞踊界の動きを広く克明に記していった江口の資料によって、より詳細な舞踊界の変容・歴史に埋もれたダンサーたちの活動を把握し、舞踊史に新たな視点を投じることができるであろう。
研究成果の概要
江口博は、新聞社勤務の舞踊批評家として継続的・網羅的に舞踊を観、筆をふるい、その守備範囲は「洋舞」から「邦舞」まで多岐に渡ったが、戦後日本の舞踊界の新たな潮流、とりわけ暗黒舞踏の台頭やポストモダンダンスの影響を受けた若い世代の舞踊家たちの活動についての痕跡は、「江口博旧蔵資料」から顧みることが困難であった。この点を補うため、本年度は8月25日に、1960 年代にモダンダンスの制作としてご活躍された中村智子氏をお招きし、非公開での研究会を開催した。中村氏は、厚木凡人、若松美黄、笠井叡らの公演をプロデュースしたほか、60 年代後半に3回のDANCE EXHIBITIONを企画している。1964年の「5人の振り付け家による『厚木凡人ダンスリサイタル』」では、高橋彪、若松美黄、横井茂、由良一夫に加えて土方巽が振付を行なっており、暗黒舞踏黎明期の活動やダンサー同士の交流について知ることができた。なおこの研究会の開催にあたっては、慶應義塾大学アート・センター土方巽アーカイヴの森下隆氏よりお力添えをいただいた。
また、2年目である本年は、11月22日にフランスの国立舞踊センター(Centre national de la danse)にて、学術研究会「江口博旧蔵資料から見る昭和日本のモダンダンス(Journée d’études « À la recherche de la danse moderne au Japon : Scènes de danse de l’ère Shôwa (1926-1989)»)」を開催した。これは戦時下~戦後の舞踊家の活動について研究が盛んなフランスと日本との違いを比較するためであり、またこれまでフランスにおいて石井漠や江口隆哉・宮操子などのモダンダンスのパイオニア、もしくは戦後の暗黒舞踏に偏ってきた歴史理解を拡げるためである。
この学術研究会では、日本側から宮川麻理子、北原まり子、研究協力者の平居香子が参加して研究発表を行い、フランス側からはマエヴァ・ラモリエール、パリ第8大学のイザベル・ロネ教授、シルヴィアーヌ・パジェス准教授がディスカッサントとして参加した。まず北原が江口博旧蔵資料の紹介を行い、続けて日本における「洋舞」の始まりから確立期についての研究成果(“« Ce monde de la danse chaotique sans ordre, sans organisation » sous les yeux du critique dans les années 1930”)を発表した。続いて宮川が第二次大戦期の舞踊界について(“Regards sur les danses au Japon pendant la Seconde Guerre mondiale : de la collection d’Eguchi Hiroshi”)、 平居が1960~70 年代の実験的な活動について(“La revue de critique de danse : Nijusseiki Buyô et le développement de ses activités”)それぞれ研究発表を行った。30名近い参加者が集まり、日仏の舞踊界、とりわけモダンダンスの受容を巡って活発な意見交換が行われた。
なお、2年間の研究成果であるこの学術研究会の発表内容は、冊子『江口博旧蔵資料から見る昭和日本のモダンダンス』にまとめ、研究会参加者および各地の図書館や関連施設に配布した。
CNDでの学術研究会の様子(撮影:Ikumi Togawa)
公募研究課題2
日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究
代表者
Björk, Tove Johanna(埼玉大学人文社会科学研究科教授)
研究分担者
稲葉有祐(和光大学学表現学部准教授)
⽇置貴之(明治大学情報・情報コミュニケーション学部准教授)
課題概要
二代目市川團十郎の日記諸本、初代中村仲蔵の日記「秀鶴日記」や自伝「雪月花寝物語」、歌舞伎常連客だった柳沢信鴻の日記本『宴遊日記』及び『宴遊日記別録』、貞佐編『代々蚕』(享保11年刊)をはじめとする江戸座関連の俳書から、①歌舞伎役者と俳人の交流を、②歌舞伎関連の女性の役割を明らかにすることによって、日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏の社会的意義を明らかにする。
研究成果の概要
本年度は、第一に日記本の注釈と解説の継続、第二に日記本に登場する歌舞伎役者と俳人の関係を具体的に示す東京大学総合図書館洒竹文庫所蔵『貞佐点俳諧帖』「指南車の」百韻のうち、発句から25句目までの註
解および同百韻の作者に関する調査、第三に広く江戸歌舞伎と俳諧の連関と越境の可能性を探るシンポジウムの開催という、主に3点の研究成果が挙げられる。
二代目市川團十郎の日記詳解は研究代表者ビュールクが引き続き行い、その第6回は『埼玉大学紀要 教養学部』第59巻第1号、第7回は『埼玉大学紀要 教養学部』第59巻第2号に発表した。日記に記された時期は享保19(1734)年5月19日~29日と6月1日~ 7日
であり、二代目團十郎は江戸の本屋須原屋清二郎から真名本『曾我物語』の噂話(5月19日)や画家英一蝶の作品についての感想(5月21日)、俳人水間沾徳の点帖に句を添えることが依頼されたこと(5月24日)、目黒の別荘で妻翠扇と子供達とホトトギスの句を読むこと(6月4日)、蚊帳の内で俳人田中千梅と和椎とともに一夜俳諧を読むことなどについて書かれている。これらの日記記録から、歌舞伎役者と江戸の文人たちの日常での
関わり方が具体的に見えてきた。
『貞佐点俳諧帖』「指南車の」百韻は享保13(1728)年のもので、その調査は分担研究者稲葉有祐が主導的に行い、研究代表者ビュールクは協力者として参加した。その百韻のうち、発句から25句目までの註解は稲
葉有祐 、荻原大地、小林俊輝、ビュールク共著「貞佐点「指南車の」百韻註解(一)」として『演劇研究』47号に発表し、さらに参加した人物に関する調査の結果として「佳風追善百韻連句会参加者一覧」も掲載した。「指
南車の」百韻は享保13(1728)年12月14日、俳人豊島佳風(有紀堂)追善百韻連句会で読まれたものであり、連衆には、歌舞伎役者二代目市川團十郎(三升)や二代目中村七三郎(少長)、狂言作者の村瀬源四郎(五舟)、
二代目中村清三郎(藤橋)、 江田弥市(冨百)、中村座の木戸番もしくは表役の里郷、大通十八の筆頭で一説に助六のモデルとされる大口屋次(治)兵衛(暁雨)などパトロンが並んだ。読んだ句には助六や道成寺など演
目の当時の演出や役者評判記の内容を仄めかすような内容の句もあり、歌舞伎と俳諧の世界の密接な関係をさらに明確に示した。
シンポジウム「江戸歌舞伎と俳諧 ―その連関・越境の可能性を探る―」は俳文学会東京研究例会 11月例会として行い、「役者を詠む/役者が詠む―元禄・享保期
の展開」(稲葉有祐)、「二代目市川團十郎の俳諧趣味と仕事」(ビュールク・トーヴェ)、「役割番付における俳諧―狂言作者の作劇法をめぐって」(古川諒太) 、「三代目歌川豊国画『俳家書画狂題』一考察」 (仲三枝子)、「文久三年刊『俳家俳優 索交評判記』をめぐって 」(伊藤善隆)といった元禄期から幕末期までに及ぶ研究発表を通して、歌舞伎は俳諧の中でどのように反映されたのか、俳諧活動は歌舞伎役者のためにどのよう役に立っていたのか、歌舞伎の宣伝に関する出版物では俳諧の影響はどのように見られるのかについて議論を深めた。
以上の3点は本研究の2023年度の主な成果である。
今後、さらに二代目團十郎の日記にみられる歌舞伎の関係者と江戸の文人・俳人の具体的な関わり方を通して、江戸の文芸園のあり方を明らかにする。
公募研究課題3
GHQ占領期における地域演劇の実証的研究
九州地区を中心に
代表者
小川史(横浜創英大学こども教育学部教授)
研究分担者
須川渡(福岡女学院大学人文学部准教授)
畑中小百合(大阪大学非常勤講師)
課題概要
本研究は、九州地区劇団占領期GHQ検閲台本の分析を通して、地域演劇の実態を検討するものである。2023年度の課題は以下の通りである。
・「素人演劇」ジャンルに含まれる台本の内容を分析するとともに、活動の母体となった青年団や労働組合等との関わりを調査する。
・熊本で活動した劇団に焦点を当て、それらの上演台本、特に霜川遠志が執筆した台本の分析を行う。
・「女国定」「瞼の母」「森の石松」及びそのバリエーションと考えられる台本を抽出し、内容のテキストデータを作成しつつ、当時の映画や講談との関連、上演劇団や作家の情報収集を行う。
研究成果の概要
今年度はダイザー・コレクションのなかから、台本29点のデジタル化を行なった。また、コレクションのジャンル別・県別それぞれの割合を導き出し、そこから、敗戦直後の九州演劇全体の概観を試みた。その上で、各研究分担者の専門に応じ、以下の通り調査を進めた。
素人演劇・職場演劇・組合演劇については、台本に記載された劇団名や作者などの情報を、演劇専門誌(『九州演劇』『演劇文化』『演劇界』『テアトロ』など)や関係者の著作(小台三四郎『ここにほんとうの空を』九州文学社、1966 年)に含まれる情報と照合し、各劇団の性格を可能な限り特定する作業を行なった。その結果、福岡県では、福岡花月劇団、創作座、協同座、協同劇団、劇研炭郷座、青春座、ともだち座、劇研ともだち座、若松鴎座、おでん座、長崎県では、かもめ座演劇研究会、ピニオン座について、劇団の性格を理解する上で有用な情報を得ることができた。その上で、これらの劇団が申請した検閲台本の内容をまとめ、各劇団の活動を立体的に把握できるようにした。検閲台本の内容と劇団の情報との照合により、占領期九州地区の演劇活動の実態解明が進んだ。
熊本県の劇団では、劇団オリオン座に焦点をあて、その活動の解明を進めた。劇団オリオン座は1946年に地元の弁護士・林靖夫を中心に宝塚少⼥歌劇を意識して創設され、1951年頃に解散した。彼らは、戦後に東宝やアーニーパイル劇場などで活動した⽇本舞踊家の花柳壽二郎の指導を乞うていて、演目の中にも花柳が製作を担当した作品がある(『お染久松二重走』)。また、作品の特徴として、新憲法普及や配給制度、戦後民主主義的イデオロギーを反映したものが多く、創作者のあいだで積極的に時事ネタとして取り入れる傾向があったと考えられる(『昭和道中夢⽇記』)。オリオン座は熊本県外でも積極的に巡業公演を行っているが、彼らはしばしば本家の宝塚歌劇を装うことがあった。1949年の松山観光大博覧会においては、「宝塚歌劇」として出演した記録が残っており、多くの観客を呼び込むために有名劇団の名前を借りた宣伝を行っていたと考えられる。
大衆演劇ジャンルについては、その膨大な量の台本を確認する作業を少しずつ進めている。戦後まもなく九州を中心に活動していた大衆演劇の劇団や団体は、今では詳細不明なものも多いが、そのうちのいくつかは、現在も九州地方を拠点として活躍している劇団に関係する可能性があることがわかってきた。伝統的に口立てを基本とする大衆演劇において、検閲のために作成された台本の存在は貴重であると同時に、実際の上演との関連について慎重に考える必要がある。
次年度以降は、そうした台本に焦点をあて、当時の九州地方の大衆演劇の状況にできる限り迫りたい。
『昭和道中夢日記』[GHQ02482] 作 林靖夫、振付 中島茂香。1948 年 6月製作
公募研究課題4
栗原重一旧蔵楽譜を中心とした楽士・楽団研究
昭和初期の演劇・映画と音楽
代表者
中野正昭(淑徳大学人文学部教授)
研究分担者
白井史人(慶應義塾大学商学部准教授)
毛利眞人(音楽評論家)
山上揚平(東京大学教養学部附属教養教育高度化機構特任講師)
小島広之(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)
課題概要
栗原重一(1897-1983)は昭和初期にエノケン楽団、松竹キネマ演芸部、さらにトーキー初期のPCL映画製作所などで活躍した音楽家である。本研究はその旧蔵楽譜の一部である「エノケン楽団・栗原重一旧蔵楽譜(約1000点)」の調査・分析を行う。2022年度までに実施した基礎調査を踏まえ、いとう呉服屋少年音楽隊以降の栗原の活動を包括的に分析し、周辺の楽士・楽団に関する関連資料の調査と組み合わせる。映画、演劇、レコード、ラジオ放送などの多岐にわたる同時代の楽士・楽団の活動や、背景となる楽譜流通や興業の実態を解明することを目指す。
研究成果の概要
〇関連資料群の調査
本研究課題は音楽史的な楽譜研究をもとにしながら、演奏という行為の主体である楽士・楽団の実態、さらにはそれらが実際に演奏を行った演劇・映画という総合芸術・娯楽作品における音楽の役割を広く歴史的に研究することを目的としたものである。旧蔵楽譜の基礎調査は前年度に一区切りさせ、目録の作成を行ったので、本年度は資料の精査・再調査を行うとともに、これまでの研究成果を用いた楽士・楽団および演劇・映画研究を積極的に進めた。なかでも2024年は栗原重一旧蔵楽譜の大半をしめるエノケン楽団を主宰した喜劇人・榎本健一の生誕120年にあたるため、エノケン楽団とエノケン劇団(ピエルブリヤント)を中心に所蔵機関の調査および脚本・プログラム等関連資料の調査・収集を集中的に行った。
この結果、第1回公演を含むエノケン劇団初期の栗原重一の活動が従来の「指揮」だけでなく「編曲」「選曲」など作品ごとに多様なクレジットがされていること、脚本では音楽の指示がほぼなく、栗原に多くが一任されていたことがわかった。楽団における栗原の仕事の多様さ、現在と異なる昭和期ミュージカル・レヴュー作品生成過程の独自さや複雑さを、資料から跡付けることができた。
〇公開研究会を含む主な研究成果
主な研究成果として、2024年3月に公開研究会「音楽家・栗原重一とエノケン喜劇 ―エノケン生誕120年昭和期ミュージカル・レヴュー再考 ―」(発表者:毛利眞人、中野正昭、コメンテーター:京谷啓徳)を対面・オンラインで開催した。
この他の関連研究成果として毛利眞人『幻のレコード 検閲と発禁の「昭和」』(講談社、2023)、中野正昭が⽇本語編を担当した『林摶秋全集』(石婉舜編、国立台湾文学館、2023)、白井史人他編『ベートーヴェンと大衆文化 受容のプリズム』(春秋社、2024)などがある。いずれの成果も本研究課題が目的とする演劇、音楽、映画等を横断する複層的な興行や作品生成の過程の解明を目的とするものとなっている。
(左から)「ピエルブリヤント」松竹専属第1回公演プログラム“Pierbriant”
同プログラムでの栗原重一のクレジット
公開研究会「音楽家・栗原重一とエノケン喜劇 ―エノケン生誕120年 昭和期ミュージカル・レヴュー再考 ―」チラシ
公募研究課題5
常磐津節正本板元坂川屋の出版活動
代表者
竹内有一(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)
研究分担者
鈴木英一(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
常岡亮(常磐津協会理事)
阿部さとみ(武蔵野音楽大学非常勤講師)
前島美保(国立音楽大学准教授)
重藤暁(早稲田大学エクステンションセンター講師)
小西志保(京都市立芸術大学共同研究員)
課題概要
坂川屋は、幕末の1860年に板株を常磐津正本板元の伊賀屋から受け継いで再刊を続け、以後昭和期まで新刊も行い、1987年頃まで板木で正本(稽古本)を刷り立てた板元である。この板元が旧蔵し演劇博物館に寄贈されて現存する板木、約800点の資料群が研究対象資料「坂川屋旧蔵常磐津節正本板木」である。当研究チームは、2020~2021年度に、これらの書誌的調査を進め、名題目録および本文板木1枚ごとの詳細目録を作成した。2022~2023年度は、題簽・奥付など付帯物の板木、板木の側面等を主な調査対象とし、それらに関する補遺目録を作成するとともに、坂川屋の出版活動をより多角的に概観するための調査研究を進める。
研究成果の概要
1)刷物・挿絵などの板木の概況について
明治期に入ると、新刊の常磐津正本の表紙・見返しに、色刷りの挿絵がしばしば加えられるようになる。木板印刷に陰りが見え始めた時期に、ようやく錦絵の如き色刷りを活用するに至ったのは、浄瑠璃本特有の出板事情があったとはいえ皮肉なことではある。演劇博物館に寄贈された坂川屋旧蔵板木には、このような色刷り用の板木が約 90点あることが今年度の調査で判明した。その大半は、正本の挿絵として、あるいは催事等の刷物の挿絵として彫られたものであるとみられる。前者については現存本との比較によって名題の特定を進めた。後者については現存本が少ないため内容未詳の板木が多い。色刷り板木は、墨による汚損を嫌ってか、包み紙が付加するものが多かった。包み紙には、明治後期から昭和初期頃と覚しい紙問屋・板木屋に関わる書込みや捺印があり、関連分野への貴重な資料ともなるだろう。
(2)「早稲田大学文化資源データベース」において板木の書誌情報を公開するための目録作成
板木両面の概要、側面・小口の書込み等について、撮影画像を再点検しながら作成し、板木総数が940点であることを確認した。両面とも未彫りの板もある。本文の板木は名題ごと順不同で仕分けされ、題簽・奥付用の小さな板木はそれとは別に集約されている。これは1990年代に坂川屋から仮保管場所(岩槻市内、のち国立市内)へ、そこから演劇博物館へ収納された際の仕分けの状態を概ね保持しており、当時の予備調査による41個の箱番号も文化資源データベースに掲載する予定である。
(左から)
図1 「釣女」刷物の板木。着物柄(朱色)、人物の影・霞(色未詳)が描かれる。[29888-939](箱番号 41-10)の表面。
図2 「釣女」刷物の板木。釣竿を持つ男と女(黒色)、着物柄・角木瓜紋・釣竿(緑色)が描かれる。[29888-939](箱番号41-10)の裏面。
図3 図 1・2 の板木に、もう1枚の板木両面[29888-940]を加えた計 4 面を刷り上げると、このような挿絵になったと考えられる。この挿絵は、催事の番組用に彫られたものだが、本図のように稽古本の表紙に転用された。
その際、「新曲 釣女」の四文字は、稽古本用板木[29888-917]の一部を刷って組み合わせたらしい。竹内有一所蔵。