2022(令和4)年度

共同研究課題

2022(令和4)年度共同研究課題一覧

※( )内は研究代表者
テーマ研究
  1. 別役実草稿研究(梅山いつき)
  2. 倉林誠一郎旧蔵資料の調査研究(後藤隆基)
  3. 「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究(岡田秀則)
公募研究
  1. 江口博旧蔵資料にみる戦時下から戦後の舞踊(宮川麻理子)
  2. 日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究(Björk, Tove Johanna)
  3. GHQ占領期における地域演劇の実証的研究――九州地区を中心に(小川史)
  4. 栗原重一旧蔵楽譜を中心とした楽士・楽団研究――昭和初期の演劇・映画と音楽(中野正昭)
  5. 常磐津節正本板元坂川屋の出版活動(竹内有一)
奨励研究
  1. 人形浄瑠璃文楽の図像・音声・映像資料の調査研究(原田真澄)
  2. 演劇博物館所蔵落語・講談関連資料の調査研究――田邉孝治旧蔵資料を中心に(赤井紀美)
  3. 日英の女性劇作家・翻訳家たち――16世紀中頃から21世紀まで(石渕理恵子)
  4. 日本小劇場演劇関連資料調査及びその活用方法研究――太田省吾と佐藤信を中心に(金潤貞)
  5. 外国映画パンフレットの調査と研究(川﨑佳哉)
  6. 撮影所システム衰退期の日本映画における性表象に関する基礎研究(鳩飼未緒)

テーマ研究課題1

別役実草稿研究


代表者

梅山いつき(近畿大学文芸学部准教授)

研究分担者

岡室美奈子(早稲田大学文学学術院教授、演劇博物館館長)
宮本啓子(白百合女子大学国語国文科非常勤講師)

課題概要

本研究は、別役実家から寄贈された資料および、演劇博物館が所蔵している別役作品に関連する資料の調査を通して、別役の劇文体、および劇作品における人物表象について検証するものである。2020年度に採択された同名のテーマ研究では、初期作品に関わる資料を調査した。調査から沈黙、貧困、憎悪、自己犠牲といった別役作品の根幹を読み解く上で重要なキーワードが浮上した。また、宮沢賢治や深沢七郎等の演劇以外の文学への関心が劇文体の形成に少なからぬ影響を及ぼしていることもわかった。そこで、2022年度以降の研究では1970 年代以降の作風の変遷を整理すると共に、宮沢や深沢などの文芸作品や童謡、古歌への関心がどのように創作に反映されていったのかも明らかにすべく、調査を進めている。

研究成果の概要

今年度は主に未整理資料の調査と、初期作品の特徴が70年代以降、どのように変化していったのかについて調査した。まず、演劇博物館の博物係の協力によって、全ての資料の目録化が完了した。目録のレコード件数は約2300件に上った。自筆原稿が最も多く、全体の73パーセントを占める。自筆原稿の内訳はエッセイや評論が57パーセントと最も多く、次いで演劇関係が30パーセントを占める。タイトルを特定できなかった原稿が7パーセントあり、タイトルを特定できたものの、バラバラの状態で発見された原稿もある。そこで、今年度はさらに調査を必要とする原稿を撮影し、チーム内で考証作業を進めている。また、今年度、出版社から寄贈を受けた別役の自筆原稿も撮影し、単行本に収録されていないものがないか調査している。

作風の変遷については、梅山が研究成果を論文としてまとめ、『演劇研究』に投稿した。本稿では、まず、これまでのテーマ研究で進めてきた「ホクロ・ソーセーヂ」の草稿分析を踏まえ、「憎悪」の感情が別役の創作の原点にあったことを指摘した。本作には「町」という共同体が、住人に対する憎悪を暴力によって露わにしている。本稿では、初期代表作である『象』と『赤い鳥の居る風景』を取り上げ、共同体の暴力性が優しさや思いやりに変容していることを論じた。また、70年代の作品として、『そよそよ族の叛乱』における共同体と個人の関係性に注目し、共同体の変容は不可視の差別構造に対する憎しみを描くことから、構造の仕組みを暴くことへと別役の関心が変化したことの表れとして捉えられると結論づけた。

以上、資料の全体像が明らかになったことと、これまで進めてきた初期作品に関する研究成果を論文としてまとめたことが今年度の研究成果と言える。一方、文芸作品や童謡、古歌が別役に与えた影響についての調査を十分進展させることができなかったため、次年度の課題としたい。


1988年第32回岸田國士戯曲賞選評[66211]


テーマ研究課題2

倉林誠一郎旧蔵資料の調査研究


代表者

後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター助教)

分担者

神山 彰(明治大学文学部名誉教授)
米屋尚子(文化政策・芸術運営アドバイザー)

課題概要

敗戦直後の1946年に俳優座に入団した倉林誠一郎(1912~2000)は、56 年に俳優座劇場を設立し、81年に代表取締役に就任した。また、65年には日本初の芸能実演家の統一団体である日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の設立に参画し、舞台芸術における実演家の権利保護や文化活動の支援、政策提言等に多大な影響を及ぼした。本研究では、従来未整理・未公開であった倉林の旧蔵資料の調査・考証を通して、演劇制作者としての倉林の再評価を行い、戦後演劇の基礎的研究のための基盤形成を図る。

研究成果の概要

本年度は、厖大な資料群の収められている段ボール箱を一箱ずつ開梱し、中身の確認・整理・調査をおこなうところから作業にあたった。具体的な調査のために、藤谷桂子、三好珠貴、佐久間慧(以上、研究協力者)の助力を得て、資料の性質ごとに整理と分類、登録を進め、目録作成を開始した。

多岐にわたる未整理資料を順次確認したが、とくに以下の資料を選定し、整理・調査に着手した。
①訪中新劇公演関係資料:文学座、民芸、東京芸術座、ぶどうの会、俳優座による訪中新劇公演(1960年)にかんする資料であり、倉林の手になる記録の他、団長を務めた村山知義作『海の幸』(梗概)の自筆原稿、現地演劇関係者との座談会の速記メモ等、多様な公演関係資料が発見された。これらの調査を進め、訪中新劇公演の内実と意義を検討することを企図している。
②瑞穂劇団日誌:戦時下における移動演劇隊「瑞穂劇団」(農文協)の興行にかかわる日誌であり、倉林はその事務担当者として巡業にも帯同していた。本資料を通して、戦時下の移動演劇(隊)の日常や巡業先での行動、公演内容やその反響等が鮮明になる。他の移動演劇隊の記録と照合することで、その総体を考察する重要な足がかりとなるだろう。

研究成果としては、倉林誠一郎の旧蔵書や関連文献等をもとに、研究の基盤となるべき倉林の事績に関する調査をおこない、後藤隆基が「倉林誠一郎研究序説――制作者がみた新劇史に関する予備的考察」(『立教大学日本学研究所年報』第21号、2022年8月)を発表した。演劇制作者という視座から新劇史の検討をおこなう目的の下、倉林がのこした文業の評価、興行史における制作者の位置づけ、先行研究史の整理をふまえて、俳優座入団以前の倉林の履歴に焦点をあてたものである。倉林がいかにして制作者となったか、倉林と演劇(新劇)との邂逅について整理し、倉林研究および戦後新劇史研究のための基盤形成を図った。

くわえて、倉林が長年、芸団協において数々の政策提言等をおこなってきたことに鑑み、2022年が劇場法施行10年にあたることから、倉林の事績から現代的課題に接続しうる道を講究すべく、シンポジウム「劇場法は何をもたらしたのか―施行10年とコロナ禍の3年」(立教大学、2022年9月2日)を開催した。高萩宏氏(世田谷パブリックシアター館長)、宮城聰氏(SPAC芸術総監督)、内野儀氏(学習院女子大学教授)、米屋尚子氏(本プロジェクト研究分担者)、内田洋一氏(文化ジャーナリスト)にご登壇いただき、後藤がコーディネートと全体進行を務めた。現代の現場の視点から遡行する形で倉林の思考を探索することもめざした。

今後は、前述した①②の資料群の精査により、それぞれの実態を明らかにするとともに、他の資料の発掘と調査によって、倉林の事績と戦後新劇の動態を講究していきたい。

 
(左)倉林誠一郎「中国公演記録〈訪中新劇公演準備会〉」1958年9月[66267]
(右)日本訪中新劇代表団(仮称)/劇団及び戯曲解説[66272]


テーマ研究課題3

「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究


代表者

岡田秀則(国立映画アーカイブ 展示・資料室主任研究員)

研究分担者

紙屋牧子(武蔵野美術大学非常勤講師)
柴田康太郎(日本学術振興会特別研究員PD)

課題概要

近年、映画興行の視点から映画史を捉え直す研究が国内外で進められている。しかしライブ性を伴う無声期については未だ十分に歴史化されているとは言い難い状況をふまえ、本研究は演劇博物館所蔵の映画館チラシの目録化・分析を通じ、映画興行の実証的な調査研 究をおこなう。また2020~2021年度の公募研究における東京都市部の映画館に関する調査研究をより発展させるものとして、新たに東京と関西の映画館チラシを考察対象に加え、東西の映画興行に関する比較研究も目指す。

研究成果の概要

本年度は、2020年度から研究対象とする映画館チラシ約600点の更なる考証作業にくわえ、新たに東京の映画館チラシ93点、大阪の映画館チラシ137点の目録化作業を開始した。今後の利活用を考慮し紙面情報を詳らかに採録する方式を採用したため、多くの時間を費やすことになったが、目標とした第一段階の入力までは完了した。映画館チラシの全体像を把握するなかで、封切館との差別化を打ち出した宣伝方法(特に大阪の資料での)から映画上映以外の多彩な出し物まで、昭和初期の映画館の多彩な実態を捉えるのに格好の資料であり、無声からトーキーへ移行する時期の劇場のプログラムの変遷を捉えるためにも重要な資料群であることを確認した。

調査の成果公開としてはまず、2022年7月2日に表象文化論学会第16回大会(於東京都立大学)に研究分担者の柴田康太郎、紙屋牧子、研究協力者の白井史人(名古屋外国語大学)がパネル「大正期の映画/映画館のテクストとコンテクスト――映画宣伝資料」を組み、昨年度までの調査研究を発展させたテーマとして、東京における映画興行や映画配給構造の変容の考察、映画『五郎正宗孝子伝』(1915年)の間テクスト的考察、無声期のドイツ映画とその音楽の国内外における流通と聴覚的要素について各自発表したうえで、コメンテーターの上田学氏(神戸学院大学)や参加者と討議を行った。

年度末の2023年2月27日には、公募研究「栗原重一旧蔵楽譜を中心とした楽士・楽団研究」(代表:中野正昭)との合同研究会(於名古屋外国語大学)を開催した。ここでは新規の考察対象とした地方の映画館興行も視野に入れたテーマで映画館と音楽等について多角的な議論を行ったうえで今後の課題も共有した。

また、本年度は映画関連資料の更なる研究活用について検討すべく2022年9月7日に研究会(於演劇博物館)を開催し、本地陽彦氏(日本映画史研究者)に「草創期の映画資料の収集と研究」というテーマで講演いただいた。講演後は本地氏のコレクション約数十点を実見しながら、草創期の映画宣伝資料の収集と活用に関する意見交換も行った。

 
(左)八千代クラブのチラシ(1928年)[NFM601204]
(右)東洋キネマのチラシ(1929年)[NFM600983]


公募研究課題1

江口博旧蔵資料にみる戦時下から戦後の舞踊


代表者

宮川麻理子(立教大学現代心理学部映像身体学科助教)

研究分担者

北原まり子(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
Lamolière, Maëva(パリ第8大学舞踊学科博士課程)

課題概要

本研究は、「江口博旧蔵資料」(舞踊関係の写真・新聞記事スクラップを中心とする280点)を調査し、政治的変動が著しい昭和期を通じた日本の舞踊界の姿を描き出すことを目的とする。江口博(1903-1982)は、戦前から戦後にかけて半世紀にわたり舞踊批評を執筆し続けた。本資料の調査は、これまで著名な舞踊家を中心に描かれてきた日本の20 世紀舞踊史に新たな視点を投じる契機となることが期待される。また本研究がとりわけ注目するのは、1930~40 年代という戦中期の資料の充実である。この時期に、舞踊界の動きを広く克明に記していった江口資料によって、より詳細な舞踊界の変容を把握することができるであろう。

研究成果の概要

〇本資料の特色

本資料は、江口博の手元に残された舞台写真、自身の書いた劇評に代表される新聞記事のスクラップ、そして公演パンフレット等の参考資料に大別される。江口は、1928年に国民新聞(のち東京新聞)の文化部に入社し、1930年頃から舞踊評を書き始めた。さらに舞踊の専門欄を持つ『音楽新聞』(1931年創刊)等にも活躍の場を拡げ、没する直前まで様々な定期刊行物、媒体に文章を書き続けた。江口の特殊性は、新聞社の社員として継続的・網羅的に舞踊を観、筆をふるったこと、その守備範囲がいわゆる「洋舞」から「邦舞」まで多岐にわたる点にある。

江口の活動は、舞踊評の執筆に留まらない。公演パンフレットへの寄稿、舞踊関係団体の顧問や要職、コンクールの審査員などを歴任し、有識者として文化庁や自治体の審議にも招かれた。舞踊芸術への総体的な貢献によって、1971年に紫綬褒章を受賞した。本資料からも、その活動の幅広さを伺うことができる。

〇本年度の研究成果

初年度のため、江口博旧蔵資料の具体的な中身、及びその実態を把握することから研究を開始した。その過程で、前述のような資料の特色が改めて浮かび上がってきた。その中でも、江口の活動の長さと資料収集の几帳面さを象徴するのが、伊藤道郎についての新聞記事を収集したスクラップブックである。早くは大正6年に伊藤の海外での活躍を紹介する記事が見られ、戦前・戦後を挟んだ伊藤の活動の横顔を垣間見ることができる。本資料は、撮影及びデジタル化を行った。

また、同じく本年度デジタル化した資料には、日本文化中央聯盟皇紀二千六百年奉祝芸能事業に関する趣旨書き及びプログラム案、また演目選定(古典演劇)の報告がある。近年、戦時中の舞踊家たちの活動としてこのイベントはしばしば言及されているが、その概要を把握できる資料となっている。

以上の調査をもとに、目録の作成にも着手した。また2023年1月28日に、本年度のコレクション調査報告および研究成果発表を実施した。ここでは本資料と江口博についての概要を北原まり子が説明の上、戦時中の舞踊家の活動について宮川麻理子が報告し、マエヴァ・ラモリエールは女性ダンサーの身体とレビューについて提出間近の博士論文をもとに発表を行った。

 
(左)伊藤道郎資料[41282-001]
(右)日本文化中央聯盟皇紀二千六百年奉祝芸能事業趣旨[41289-001-001]


公募研究課題2

日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究


代表者

Björk, Tove Johanna(埼玉大学人文社会科学研究科教授)

研究分担者

稲葉有祐(和光大学学表現学部准教授)
⽇置貴之(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)

課題概要

本研究の目的は「二代目市川團十郎栢莚日記」(以下新出日記本『栢莚日記』)をもとに、①資料の所縁や信憑性について検討すること、②江戸中期の歌舞伎役者を中心として文芸園のあり方を明らかにすることである。『栢莚日記』は、日記本『柿表紙』とともに、狂歌師鹿都部真顔の医者とその息子に写されたもので、二代目團十郎の日記原本が文化初期に焼失された以後、江戸中期の歌舞伎役者の生活、また彼らをまつわる文芸園について記されている重要な資料である。本研究は、この日記本を出発点として、享保期の歌舞伎役者を取り巻く環境を明らかにし、歌舞伎役者や俳人・文人の関係を明らかにするものだ。

研究成果の概要

〇準備・資料収集

2022年度、主に資料収集を行なった。研究代表者及び分担者が『栢莚日記』、また伊原青々園が『栢莚遺筆集』(大正6〔1917〕年写)に記した日記本『柿表紙』および『栢莚日記』の注書き、さらに関連資料である、明和期の歌舞伎劇場関係者・歌舞伎役者・芝居茶屋・狂言作者・囃子方などを紹介する『明和妓鑑』(明和6〔1767〕年)及び寛政期の歌舞伎関係者の俳句及び代々の團十郎の業績を披露する『團十郎七世敵孫』(寛政12〔1800〕年)をデジタル化させ、画像データをもとの分析を開始した。

〇分析・研究

研究代表者ビュールクは上記の資料をもとに、二代目市川團十郎の日記諸本を注釈する研究シリーズ「二代目市川團十郎日記詳解―第六回―享保19(1734)年5月19日~29日」(埼玉大学(教養学部)紀要)で、二代目團十郎と河原崎座座元河原崎長十郎、中村座の木戸番里郷、市村座出演中の道化役者の初代鶴屋南北、葺屋町の芝居茶屋大黒屋久左衛門、本屋須原屋清二郎、絵師英一蝶などの文化的交流について分析した。この注釈シリーズは2014年から開始され、これから引き続き行うことによって、二代目團十郎の日記から享保期の文化交流の実態を明らかにする見込みがある。

2022年9月、研究分担者稲葉は、2代目團十郎の日記本を設立させ、江戸座の俳人と歌舞伎役者の交流についてさらに深く分析する準備を行なった。今後、本研究は日記本に加えて、俳書をとしても江戸中期の歌舞伎役者を中心にした文芸圏の実態を明らかにすることを試みる。

 
(左)2015年新出日記本「二代目市川團十郎 栢莚日記」[43236]
(右)日記本「柿表紙」「栢莚日記」が書き写された「栢莚遺筆集」[113-00051]


公募研究課題3

GHQ占領期における地域演劇の実証的研究

九州地区を中心に


代表者

小川史(横浜創英大学こども教育学部教授)

研究分担者

須川渡(福岡女学院大学人文学部准教授)
畑中小百合(大阪大学非常勤講師)

課題概要

本研究の目的は、敗戦直後に九州地区で行われた演劇、とりわけ、演劇を職業としない市民による演劇が、いかなる性格を持つものだったのかを明らかにすることにある。研究は、九州地区劇団占領期GHQ検閲台本(ダイザー・コレクション)の分析を通して行う。

研究成果の概要

今年度はダイザーコレクションのなかから、109点の台本を閲覧し、重要と思われる資料のデジタル化をおこなった。調査研究に重点を置いた資料は、憲法普及会が関与した台本、熊本で活躍した劇団の台本、「狭客伝」「股旅物」ジャンルの台本である。

新憲法の理念を啓蒙するために結成された憲法普及会は、講習会、映画、幻灯、歌や踊りなどあらゆるメディアを総動員した大規模な活動を、1年間に亘り展開した。同会で演劇が活用された例はこれまで知られていなかったが、調査の結果、同会が関与した台本8点がダイザー・コレクションに含まれていることが判明した。これら台本の分析結果は、2022年9月18日に開催された日本社会教育学会第69回研究大会で報告を行った。分析した台本は、佐賀県のもの6点、山口県1点、福岡県1点である。いずれも、新憲法の理念や条文を具体的な場面に結びつけて演劇化したもので、いわゆる憲法劇の先駆的な試みとして評価できる。注目すべきは、作者や申請者として教員が関与していること、また、8点のうち4点がにわかの台本として書かれていることである。憲法の普及活動は、地域の人材や演劇文化を生かしながら進められたことがわかる。

熊本県の劇団では、戦後間もない頃に活動した三劇団、劇団文藝座(12点)、劇団オリオン座(6点)、日協劇団(7点)の上演台本に着目した。台本だけでは上演日時を特定できないが、緒方猪一『戦後の熊本演劇』(日本談義社、1983)、熊本の郷土雑誌・山口白陽編『呼ぶ』(呼ぶの会、1961-62)、『熊本日日新聞』(1946-47)を参照することで、劇団文藝座と劇団オリオン座の上演日程・演目の一部を特定することができた。『宇龍港』『弟子丸家の人々』『マテオ・ファルコネ』『灰燼』は劇団文藝座による1945年12月の旗揚げ公演と1946年4月の第二回公演において、『故郷の声』『お染久松二重走』は劇団オリオン座による1947年4月の旗揚げ公演において上演された演目であることが分かった。『お染久松二重走』は、本来は心中物で終わるはずのお染久松に「新時代の感覚」を取り入れ、道行はこれからの時代に合わないという理由でハッピーエンドに改変された喜劇的な舞踊劇である。戦後の熊本では、新劇だけでなく、当時の世相を反映した歌や踊りを交えたレビュー劇も上演されていたことが分かる。

戦前・戦後の大衆演劇の人気演目であった「侠客伝」「股旅」ジャンルの台本については、当時の上演台本がほとんど残っておらず、ダイザー・コレクションは大変貴重な資料である。本年度はタイトルから「女国定」「国定忠治」「森の石松」「瞼の母」のバリエーションと思われる作品を特定し、その内容の異同について分析を行った。

 
 
(上)「風車」[GHQ03674]
 『風車』台本。作者は唐津で教員をしていた人物。申請者は、戦中まで高等小学校の校長を務めていた地域の名士。
(下)「お染久松二重走」[GHQ07122]
 1947年4月14日付『熊本日日新聞』によれば、『お染久松二重走』は 台本に記載されている製作年の1948 年より前に「追加演目」として上演されている。


公募研究課題4

栗原重一旧蔵楽譜を中心とした楽士・楽団研究

昭和初期の演劇・映画と音楽


代表者

中野正昭(淑徳大学人文学部教授)

研究分担者

白井史人(名古屋外国語大学世界教養学部准教授)
毛利眞人(音楽評論家)
山上揚平(東京大学教養学部附属教養教育高度化機構特任講師)
小島広之(東京大学大学院総合文化研究科博士課程)

課題概要

栗原重一(1897-1983)は昭和初期にエノケン楽団、松竹キネマ演芸部、さらにトーキー初期のPCL 映画製作所などで活躍した音楽家である。本研究はその旧蔵楽譜の一部である「エノケン楽団・栗原重一旧蔵楽譜(約1000点)」の調査・分析を行う。2021年度までに実施した楽譜資料の基礎調査の成果を踏まえ、同時代の文献資料や、関連する楽譜コレクションの調査を組み合わせて研究を進める。栗原がともに活動した榎本健一(1904-1970)およびその周辺の楽士・楽団の活動実態の実証的研究を通して、広く同時代の演劇、音楽、映画を横断する興行や作品生成の過程を解明することを目指した。

研究成果の概要

〇栗原旧蔵楽譜の目録と関連資料の調査

2021年度までに基礎的な情報を入力した約1000点の資料目録に関して、作曲者・編曲者、出典が明らかではない手稿譜などの情報に関して広い利活用へ向けたアップデートを進めた。また栗原重一と接点があった音楽家・篠原正雄(1894-1981)の旧蔵資料の基礎調査を継続し(台東区立下町風俗資料館所蔵)、栗原旧蔵楽譜と関連が深い資料を選定し、今後の体系的な比較調査の準備を完了させた。またエノケン楽団での活動以前の栗原の足跡に関して調査の進展があった。栗原が楽士として一時期活動していたと証言している名古屋の映画館・千歳劇場の資料の購入・調査を進めるとともに、演劇博物館がすでに所蔵していた当館のプログラム(70点程度)を精査し、初期の活動を明らかにする足掛かりを得た。

〇関連する研究成果の発表と公開研究会の開催

2021年度に編集した成果報告冊子を活用し、音楽学、映像学の専門家との研究成果の共有と連携を進めた。研究代表者・中野(『ローシー・オペラと浅草オペラ』)と分担者・毛利(『SPレコード入門』)が関連領域における単著を刊行したほか、分担者・白井は国際音楽学会2022(於アテネ大学)において無声映画からトーキー初期の映画の音楽に関する研究発表を行った。

このようにして形成した研究ネットワークを活用し、2023年2月には、名古屋外国語大学ワールドリベラルアーツセンターとの共催にて公開研究会を開催した。

本研究会は、テーマ研究「「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究」との合同で、西洋音楽や映画文化の普及の多様な在り方を問うものとなった。とりわけ、栗原が所属していた「いとう呉服店少年音楽隊」の発祥の地である名古屋での西洋音楽受容を一つの切り口として、研究分担者・代表者が一同に会して成果報告と討議を行った。愛知県立芸術大学の七條めぐみ氏ら在名古屋の専門家や一般の研究者との意見交換を通じて、浅草やエノケンにとどまらない大正・昭和初期の音楽文化のなかで、栗原の活動を位置づける格好の機会となった。

     
(左、中)「楽譜 團栗頓兵衛呼び込みの唄(原曲SON CUBANO RUMBA)」、 手稿総譜[KRH47477]
 使用五線紙:4頁「栗原重一作曲用」、5頁「篠原正雄作曲用」
(右)シンポジウム「モダン文化の〈場所〉」チラシ(2023年2月、名古屋外国語大学)


公募研究課題5

常磐津節正本板元坂川屋の出版活動


代表者

竹内有一(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)

研究分担者

鈴木英一(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
常岡亮(常磐津協会理事)
阿部さとみ(武蔵野音楽大学非常勤講師)
前島美保(東京藝術大学非常勤講師)
重藤暁(早稲田大学エクステンションセンター講師)
小西志保(京都市立芸術大学共同研究員)

課題概要

坂川屋は、幕末の1860 年に板株を常磐津正本板元の伊賀屋から受け継いで再刊を続け、以後昭和期まで新刊も行い、1987年頃まで板木で正本(稽古本)を刷り立てた板元である。この板元が旧蔵し演劇博物館に寄贈されて現存する板木、約800点の資料群が研究対象資料「坂川屋旧蔵常磐津節正本板木」である。当研究チームは、2020~2021年度に、これらの書誌的調査を進め、名題目録および本文板木1枚ごとの詳細目録を作成した。今年度は、題簽・奥付など付帯物の板木、板木の側面等を主な調査対象とし、それらに関する補遺目録を作成するとともに、坂川屋の出版活動をより多角的に概観するための調査研究を進める。

研究成果の概要

2022年度の主な研究成果は、上記の補遺目録作成のほか、常磐津正本板木と坂川屋の出版活動をテーマに主催したシンポジウム(公開研究会)「常磐津浄瑠璃本の板木研究をめぐって―演劇博物館所蔵坂川屋旧蔵資料より―」(11月26日、オンライン開催)である。シンポジウムの研究報告では、重藤が板木調査の現況と課題について概観し、鈴木が自身の坂川屋および板木との出会いから、板木が演劇博物館に収蔵されるに至る常磐津節関係者の事情と経緯について証言した。また、竹内は実際に刊行された稽古本諸本と板木との関係を把握して示す事例を、常岡・小西は近現代の坂川屋代々に関する実演家の見聞等を紹介した。さらに、ゲスト講演者2名(永井一彰氏、金子貴昭氏)が、明治期の板木と版権について、板本・版画の板木に関する先行研究からみた坂川屋旧蔵板木の特性について講演を行い、学術研究資料としての坂川屋板木の存在意義と重要性があらためて示された。質疑応答では、阿部・前島を中心に、坂川屋の出版活動と板木に関し、様々な観点からの意見が交わされた。

坂川屋については、幕末成立の『諸問屋名前帳』に伊賀屋勘右衛門から坂川屋へ板株を譲渡された記録(竹内の先行研究、1996年)、1927年刊の芸能名鑑『現代音楽大観』に当時の坂川屋主人の経歴書が残るが、刷られた常磐津正本とそれらの現存板木を除くと、坂川屋の代々とその出版活動を直接的に書き留めた資料は乏しい。今回のシンポジウムでは新たに、明治初期の代替わりと後継者に関する情報を含む新聞記事、昭和50~60年代の最晩年の坂川屋に関する実演家の見聞と記憶、親族の写真の存在などを提示することができたが、いまだ点と点を結びつけ全体像を把握するには至っていない。引き続き、代替わりの時期の特定、代々の当主と従業員の動向、常磐津正本出版の盛衰状況等について、情報収集と調査研究を進めていきたい。

 
何も彫られていない面の調査も重要である。写真は、常磐津稽古本「旅雀三芳穐」(本文板木4枚、7行7丁本、弘化4年(1847)9月河原崎座初演の現行曲)の終丁板木の裏面。坂川旧蔵板木は、板木の両面から2 丁を刷り出すことができる2丁掛けで構成されるが、丁数 配分の都合で、片面が彫られていない板木も存在する。彫られていない面には、しばしば文字が書き込まれ、これらも板木研究にとって貴重な資料となる。ここに見える文字は、名題に関する「たびすゝめ」「三芳穐」、板元名に関する「さか川平四郎板」「文亀堂勘右衛門」、そのほか「七丁」「上り」といった書き込みもあり、長い間に随時書き継がれたと見受ける。文亀堂は坂川屋が板株を譲り受けた伊賀屋勘右衛門の屋号。四隅の墨の汚れは、他にも同様の板木が散見され、刷り立て作業の実情を解明する手がかりとなり得る。2021年度拠点研究により撮影。[29888-169(08-11)]