2024(令和6)年度

共同研究課題

2024(令和6)年度共同研究課題一覧

※( )内は研究代表者
テーマ研究
  1. 久保栄資料の調査研究(阿部由香子)
  2. 倉林誠一郎旧蔵資料を中心とする戦後新劇の調査研究(後藤隆基)
  3. 映画関連資料を活用した戦前期の映画興行に関する研究(岡田秀則)
公募研究
  1. 岡本綺堂旧蔵資料に関する基礎的研究(横山泰子)
  2. 日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究(BJÖRK, Tove Johanna)
  3. GHQ占領期における地域演劇の実証的研究――九州地区を中心に(小川史)
  4. 田邊孝治氏旧蔵講談資料の研究(今岡謙太郎)
  5. 常磐津節正本板元坂川屋が遺した印刷在庫の概要調査(竹内有一)
  6. 小沢昭一旧蔵資料にみる「日本芸能史」構想についての調査研究――性表現の推移を中心に(鈴木聖子)
奨励研究
  1. 小山内薫関係資料の調査研究(熊谷知子)
  2. 戦後日本の演劇における第二次世界大戦の表象と語り――2025 年度早稲田大学演劇博物館企画展に向けて(近藤つぐみ)
  3. 演劇博物館所蔵中国演芸貴重資料の目録作成(李家橋)
  4. 戦前~戦中日本のロマンチック・コメディ映画に関する調査研究(具珉婀)

テーマ研究課題1

久保栄資料の調査研究


代表者

阿部由香子(共立女子大学文芸学部文芸学科教授)

研究分担者

赤井紀美(東北大学大学院文学研究科准教授)
熊谷知子(早稲田大学演劇博物館助手)

課題概要

本研究では、戦前から戦後にかけて日本の新劇界を牽引した劇作家・演出家の久保栄(1900~1958)の、未整理・未公開の演劇博物館所蔵の資料(日記、創作メモ、演出ノート他)について、特に久保栄と築地小劇場との関わりに着目し調査・翻刻・考証を行う。1926年に築地小劇場文芸部に入った久保は小山内薫、土方与志のもとで演劇を学び、小山内没後に代表作を次々に発表する。久保の創作活動において築地小劇場での経験および小山内からの影響は大きく、これらを検討することで、一次資料をもとにした久保栄の基礎的研の基盤を固めることができると考える。

研究成果の概要

改めて、本研究チームの対象資料について確認したい。久保栄は築地小劇場から新協劇団、劇団民芸など様々な新劇の劇団の活動・創設に関わり、戦前から戦後の新劇界で大きな地位を占めた作家である。「五稜郭血書」(1933年初演)「火山灰地」(1938年初演)「林檎園日記」(1947年初演)など現在まで上演が繰り返される作を多数執筆し、島崎藤村「夜明け前」(1934年初演)をはじめとする舞台の演出も手掛けた。
 日本の新劇史を考えるうえで、また日本のリアリズム演劇の歴史において久保栄の存在を論じることは不可欠だが、現在その研究が進展しているとは言い難い。演劇博物館所蔵の久保栄資料は久保の養子の久保マサ氏より寄贈されたもので、段ボール40箱以上にわたる。資料は日記、草稿、メモ、書簡、家計簿、演出ノート、写真、プログラム、チラシ、オープンリールテープなど多岐にわたっており、ほぼ未整理の状態である。本年度は混在する様々な資料を、分類整理することに多くの時間を割いた。分類後の自筆の原稿とノート、書簡類を中心に目録化を行っており、また久保栄旧蔵の書籍についても確認を行った。久保の資料は全体的に劣化が著しく、デジタル化の必要がある資料も多い。分量が多いため、まずは状態の良いものからスキャナーを用いてデジタル化を行うことも検討している。今回の整理により、久保が執筆した伝記『小山内薫』(文芸春秋新社、1947)の執筆メモ(ノート)や、全集未掲載の村山知義との書簡、また、主要作品の自筆原稿が発見された。いずれも貴重な一次資料であり、特に小山内薫についての資料は久保と築地小劇場の関わりを検討するうえで非常に重要なものであると考える。
本年(2024年)は築地小劇場開場100年の年にあたり、チームメンバーがいずれも築地小劇場関連の展示を行っている。阿部は展示「演劇熱を爆発させた青年達―築地小劇場100年」(共立女子大学1階ロビー、2024年9月18日~10月9日)を、赤井と熊谷が「築地小劇場100年―新劇の20世紀―」(早稲田大学演劇博物館 1階 六世中村歌右衛門記念特別展示室・2階 企画展示室I・Ⅱ、2024年10月3日~2025年1月19日)を担当した。
後者の展示では今回の整理で発見された『小山内薫』執筆メモ(ノート)をはじめ、久保栄関係の資料を多数展示した。本研究チームの成果が展示に生かされた形であり、築地小劇場とその後の新劇の流れを考えるうえで久保栄の存在が非常に大きかったことが、通史的な展示を行ったことで、より明確になったと考える。 また、久保資料を検討するうえで、演劇博物館にすでに収蔵されている関連資料の確認も不可欠である。特に築地小劇場に関するものでは、久保栄の翻訳作品ではじめて築地小劇場で上演された「ホオゼ」の大道具帳や、音響効果を担当した和田精旧蔵の台本などがあり、久保資料と照合することでそれぞれの資料の性質がより明確になると考える。今年度は和田精資料のデジタル化を行っており、これらの資料の具体的な調査は来年度行う予定である。


久保栄旧蔵『小山内薫』執筆メモ(ノート)[72037-1]


テーマ研究課題2

倉林誠一郎旧蔵資料を中心とする戦後新劇の調査研究


代表者

後藤隆基(立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター特定課題研究員)

分担者

神山彰(明治大学名誉教授)
児玉竜一(早稲田大学文学学術院教授)
米屋尚子(文化政策・芸術運営アドバイザー)
藤谷桂子(早稲田大学図書館司書)

課題概要

敗戦直後の1946年に俳優座に入団した倉林誠一郎(1912~2000)は、56年に俳優座劇場を設立し、81年に代表取締役に就任した。また、65年には日本芸能実演家団体協議会(芸団協)の設立に参画し、舞台芸術における実演家の権利保護や文化活動の支援、政策提言等に多大な影響を及ぼした。本研究では、倉林旧蔵資料の調査・考証を行ない、戦後新劇の実態にかんする基礎的研究を進める。

研究成果の概要

2020年度に演劇博物館で受け入れた倉林誠一郎旧蔵資料3,004点(図書:387点/雑誌:835点/博物資料:1,782点)は、過去の拠点テーマ研究「倉林誠一郎旧蔵資料の調査研究」(2022~23年度)における調査によれば、①日記、②自筆メモ・日誌・ノート、③書簡類、④俳優座・俳優座劇場関係資料、⑤各種演劇関連団体関係資料(書類・冊子等)、⑥舞台写真(ネガフィルム等を含む)、⑦スクラップブック、⑧公演プログラム、チケット、⑨チラシ、ポスター等、⑩新聞雑誌の切り抜き、⑪図書・雑誌、⑫各種資料の複写物等に分類することができる。
本プロジェクトメンバーは、前掲の拠点テーマ研究において倉林資料の整理を行っており、簡易的な目録を作成したものの、個別の資料に関する詳細な調査・考証にまで到達しておらず、各種資料の関連等も未検討の状態であった。
なかでも、倉林が1947年6月から2000年3月まで書き継いでいた日記(全79冊)については、代表者および分担者(神山、児玉、藤谷)が、科学研究費補助金基盤研究(C)「倉林誠一郎資料の調査・考証に基づく戦後新劇の基礎的研究」(研究代表者・後藤隆基 21K00199、2021~2023年度)として、占領期に書かれた日記の翻刻を行っており、本年度はその成果をも継承して、翻刻作業を進めてきた。
本プロジェクトメンバーによる翻刻およびチェック作業等を通して、1946年から1952年までの日記の翻刻を一通り終えることができた。これらについては、次年度の出版をめざして準備を進めており、戦後新劇(演劇)研究に資する資料として、ひろく成果を公開したい考えである。
また、劇団俳優座に、敗戦後まもなく研究生として入座し、現在劇団代表を務める岩崎加根子氏にインタビューを行う機会を得た。その内容は、後藤隆基「俳優座で七十年:変わりゆく六本木のまちと劇場閉館」(『東京人』486号、2024年12月)として公開されている。
今後の展望について述べる。上述のとおり、次年度には、占領期の倉林日記の翻刻成果を公開すべく、本プロジェクトメンバーによる解題等を付して出版する予定である。また、それ以降の日記についても翻刻を進めたい。占領期に続く日記は、俳優座劇場の建設・開館にあたる時期であり、2025年に同劇場が閉館することに鑑みても、倉林日記の調査・翻刻を通して得られる成果は大きいと想定される。あわせて、日記以外の資料も含めて調査を行い、戦後新劇の動態について研究を遂行していく計画である。


テーマ研究課題3

映画関連資料を活用した戦前期の映画興行に関する研究


代表者

岡田秀則(国立映画アーカイブ 展示・資料室主任研究員)

研究分担者

紙屋牧子(武蔵野美術大学造形学部映像学科非常勤講師)
柴田康太郎(早稲田大学総合人文科学研究センター次席研究員)
白井史人(慶應義塾大学商学部准教授)

課題概要

本研究は、演劇博物館所蔵の映画館チラシを中心とした映画宣伝資料の調査を通じた、戦前期日本の映画興行の諸相を実証的に解明することを目的とする。先行のテーマ研究「「映画館チラシ」を中心とした映画関連資料の活用に向けた調査研究」(2022−2023年度)における研究成果も踏まえ、対象資料の更なる考察と関連資料の発掘調査を目指す。

研究成果の概要

本年度は、2020年度に端を発する当チームの研究活動を総括した成果公開に重点を置きつつ、新たに研究対象とする演劇博物館所蔵の駒田好洋旧蔵スクラップブックの目録化に着手した。また神戸映画資料館所蔵の無声映画のフィルム1本をデジタル化した(協賛:柳井イニシアティブ、作業:東京光音)。当該作品は2025年度の公開研究会において、映画説明と伴奏を付した「再現」上映として公開する予定である。 2024年5月に、国立映画アーカイブにおいて、トーキー転換期に製作された稀少な映画作品のフィルム試写をおこなったうえで研究会を開催した。研究会では、紙屋牧子(研究分担者)が「マキノトーキーの活動と作品」という題目で、柴田康太郎(研究分担者)は「日本映画と語り物の交差」という題目で発表をおこない、参加者の白井史人(研究分担者)およびゲストの京谷啓徳氏(学習院大学)、西澤駿介氏(青山学院大学)と検討をおこなった。2024年12月には、柴田と紙屋が演劇博物館において駒田好洋旧蔵資料の整理に携わった経験を持つ上田学氏(神戸学院大学)に、ヒアリングをおこなった。
成果公開としては、柴田が2024年4月に北米4都市および早稲田大学における無声映画上映企画The Art of the Benshi 2024 World Tour(主催:UCLA-早稲田柳井イニシアティブ、共催:UCLA Film & Television Archives、早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点、協力:国立映画アーカイブ、松竹株式会社、早稲田大学演劇博物館)に専門家として参加した。その一貫としてJAPAN HOUSE Los Angelesにおいて開催された公開講座The World of the Benshi: Lecture and Demonstrationには、柴田に白井と紙屋を加えた3名が登壇し、柴田は“The Voices of Benshi in Japan and Beyond”、 紙屋は“The ‘Modernity’ of Japanese Cinema in the 1910s and 1920s”、白井は“Silent Film Music Across the Pacific”の題目で講演した。その後、片岡一郎氏(活動写真弁士)の『血煙高田馬場[最長版]』(日活製作、1928年、伊藤大輔監督)の実演を挟み、柳井イニシアティブのディレクターとしてイベントを主導したマイケル・エメリック氏(UCLA)の進行で来場者とのQ&Aも実施した。2025年1月27日には演劇博物館にて、ジム・ドーリング氏(ランドルフ・メーコン大学)とその学生たちと戦前の日本映画の音文化にかんするワークショップExploring the Power of Voice & Music in Japanese Silent Cinemaを開催した。

 
(左)駒田好洋旧蔵資料より[16758-4_036]
(右)ワークショップ(2025.1.27)での学生たちとのQ&Aの様子
登壇者は左より柴田(オンライン参加)、白井、片岡一郎氏、紙屋


公募研究課題1

岡本綺堂旧蔵資料に関する基礎的研究


代表者

横山泰子(法政大学理工学部創生科学科教授)

研究分担者

東雅夫(文芸評論家、アンソロジスト)
小松史生子(早稲田大学文学学術院教授)
鈴木優作(鹿児島大学法文学部附属「鹿児島の近現代」教育研究センター特任助教)
原辰吉(世田谷文学館学芸員)
松田祥平(大谷大学文学部任期制助教)
脇坂健介(学習院高等科)
勝倉明以(名古屋市立東丘小学校)

課題概要

2022年に生誕150年を迎え、演劇と文学という両領域において大きな足跡を残した岡本綺堂(1872年~1939年)旧蔵資料(日記・原稿・書簡65点)の基礎的調査・分析を行うのが主要目的である。特に未発表・未翻刻の日記(1931年~1938年)は作家岡本綺堂の後半生を知るうえでの一級資料と思われ、それらのデジタル化および翻刻・注釈を行うことで、綺堂の活動や創作に対する新たな視点を提示できる。さらに、学際的な視点から、綺堂の活動ならびに当時の劇界や文学界、メディアや社会背景の一端を捉え直すことを目指す。

研究成果の概要

〇関連資料のデジタル化
演劇博物館には1923年7月から1938年12月までの綺堂の自筆の日記が所蔵されている(1938年10月~12月は岡本経一氏の筆)。ノートに縦書きで記されており、計30冊ある。関東大震災により多くの蔵書と、それまで書き続けてきた日記を焼失した綺堂だが、震災時に持ち出した荷物のなかに書きかけの日記を見つけ、書き継ぐことにしたという。亡くなるまでの16年間、その日の天気、気温、行動、仕事の進行、面会者などが細かに記されている。
岡本経一氏が『岡本綺堂日記』『岡本綺堂日記・続』(青蛙房)として、1923年から1930年までの日記を翻刻し出版したが、残りの1931年から1938年までの8年間の日記が未公開・未翻刻である。本チームでは未公開の箇所の翻刻を行う。今後日記全体の画像をオンラインで公開することも検討しており、全日記のデジタル化を行った。
日記に加え、次の2点の資料のデジタル化も行った。綺堂の作品は海外でも上演されており、1927年6月にパリのオデオン座で「修善寺物語」が上演された際の「在フランス日本大使館発行の岡本綺堂宛上演許可書類」が演劇博物館に所蔵されている。
戦前の海外上演の具体的な資料であり、綺堂作品の幅広い受容を考えるうえで重要な資料と考える。
また、綺堂没後すぐの1939年3月14日から演劇博物館では岡本綺堂を偲ぶ展覧会が開催されており、3月25日には記念講演会が行われた。池田大伍、浜村米蔵、岡鬼太郎、木村錦花、川村花菱、岡村西男、河村繁俊らが登壇し綺堂について語ったが、その際に筆記された速記録が演劇博物館には所蔵されている。館内記録として残されたもので公開されてこなかったが、明治期から昭和にいたるまでの主に劇界と綺堂の関わりが語られており、貴重な談話である。以上2点の資料も今後翻刻を行い公開する予定である。
〇日記の翻刻状況
本年度では、1931年1月から1933年1月までの翻刻を行った。当該部分の日記には綺堂の晩年の旺盛な執筆活動の状況や後進の育成に力を注ぐ姿がうかがえる。
また都市生活者としての綺堂の日常が丁寧に記されており、社会風俗史としても貴重な資料であることがわかった。年度内には、1931年1月から1932年12月の2年間分の日記の翻刻を資料の画像とともにオンラインで公開予定である。目的遂行のため、年度途中で研究協力者を増やし、公開に向けて鋭意作業をすすめている。また来年度には公開シンポジウム、研究会を行うことも検討している。

 
(左)岡本綺堂日記 1931年1月[8114-015]
(右)在フランス日本大使館発行の岡本綺堂宛上演許可書類[29779]


公募研究課題2

日記から考える歌舞伎役者を中心にした江戸中期の文芸圏研究


代表者

BJÖRK, Tove Johanna(埼玉大学人文社会科学研究科教授)

研究分担者

稲葉有祐(和光大学表現学部准教授)
日置貴之(明治大学情報コミュニケーション学部准教授)

課題概要

本研究では「二代目市川團十郎栢莚日記」(『栢莚日記』)をもとに、①資料の所縁や信憑性について検討、②江戸中期の歌舞伎役者を中心として文芸園のあり方を明らかにする。『栢莚日記』と伊原青々園写『栢莚遺筆集』(早稲田大学演劇博物館蔵)を比較し、一次資料としての信憑性を増やす。また歌舞伎役者や文人、俳人の文化交流の形を洗い出す。初代市川團十郎の追善句集『父の恩』、さらに、歌舞伎の常連柳沢信鴻筆『宴遊日記』など日記と照らし合わせ、劇場にまつわる商業圏、歌舞伎役者と観客の文化的交流について吟味する。

研究成果の概要

本年度は、第一に日記本の注釈と解説の継続、第二に日記本に登場する歌舞伎役者と俳人の関係を具体的に示す東京大学総合図書館洒竹文庫所蔵『貞佐点俳諧帖』「指南車の」百韻のうち、26句から50句目までの註解および同百韻の作者に関する調査、第三に藝能史研究会にて、柳沢信鴻の日記にみる大名屋敷での素人歌舞伎公演と歌舞伎界の関連についての招待講演発表「宴遊日記の世界―柳沢信鴻邸の歌舞伎公演とお狂言師たちー」を行い、主に3点の研究成果が挙げられる。
二代目市川團十郎の日記詳解は研究代表者ビュールクが引き続き行い、その第8回は『埼玉大学紀要 教養学部』第60巻第1号、第9回は『埼玉大学紀要 教養学部』第60 巻第2号に発表した。日記に記された時期は享保19(1734)年6月8日~18日と6月19日~24日であり、二代目團十郎は目黒の別荘で妻翠扇と子供達を過ごし、俳人初代・二代深川湖や市村座座元九代目市村羽左衛門(俳号何江)らと共に品川の遊郭で遊んだり(6月8日)、祐天寺の方丈二代目祐天の歌舞伎観劇体験を踏まえた説法を聞いたり(6月19日)、その夏休み中でもお盆狂言の世界について狂言作者二代目通打治兵衛(俳号英子)と相談したり(6月13日)などと。これらの日記記録から、歌舞伎役者と江戸の文人たち、さらに浄土宗の僧侶たちの日常での関わり方が具体的に見えてきた。
『貞佐点俳諧帖』「指南車の」百韻は享保13(1728)年のもので、その調査は分担研究者稲葉有祐が主導的に行い、研究代表者ビュールクは協力者として参加した。その百韻のうち、26句から50句目までの註解は稲葉有祐、荻原大地、小林俊輝、劉欣佳、ビュールク共著「貞佐点「指南車の」百韻註解(二)」として『演劇研究48号に発表した。「指南車の」百韻は享保13(1728)年12月14日、俳人豊島佳風(有紀堂)追善百韻連句会で読まれたものであり、連衆には、歌舞伎役者二代目市川團十郎(三升)や二代目中村七三郎(少長)、狂言作者の村瀬源四郎(五舟)、二代目中村清三郎(藤橋)、江田弥市(冨百)、中村座の木戸番もしくは表役の里郷、大通十八の筆頭で一説に助六のモデルとされる大口屋次(治)兵衛(暁雨)などパトロンが並んだ。読んだ句には助六や道成寺など演目の当時の演出や役者評判記の内容を仄めかすような内容の句もあり、歌舞伎と俳諧の世界の密接な関係をさらに明確に示した。
招待講演発表「宴遊日記の世界―柳沢信鴻邸の歌舞伎公演とお狂言師たちー」は藝能史研究会の十二月東京例会で行い、代表者ビュールクは柳沢信鴻の「宴遊日記」にみる安永2年6月と9月の2回、信鴻本人が染井屋敷で主催した歌舞伎公演に関わる記録を分析した。これらの記録から、信鴻本人は当時江戸の人気役者だった初代中村仲蔵や四代目岩井半四郎、四代目市川團十郎の所作場面を家臣や女中らに写させ、それに上方の浄瑠璃本から借りた筋に当てはめて、新作を作ったという経緯がわかった。また、こうした舞台に側室お隆は複数の立役を演じ、信鴻一家は全面的に関わっていた可能性を示した。また、公園の準備の際、屋敷の女中らは初代仲蔵が勤めていた中村座の芝居茶屋松屋を通して、仲蔵が舞台で使う小道具やカツラなど借りたりそることがわかったので、歌舞伎界はこうしたパトロンたちの歌舞伎趣味を応援し、親密に関わっていたことがわかった。
以上の3点は本研究の2024年度の主な成果である。今後、さらに二代目團十郎の日記にみられる歌舞伎の関係者と江戸の文人・俳人の具体的な関わり方を通して、江戸の文芸園のあり方を明らかにする。


公募研究課題3

GHQ占領期における地域演劇の実証的研究

九州地区を中心に


代表者

小川史(横浜創英大学こども教育学部教授)

研究分担者

須川渡(福岡女学院大学人文学部准教授)
畑中小百合(大阪大学非常勤講師)

課題概要

本研究は、九州地区劇団占領期GHQ検閲台本の分析を通して、敗戦直後に九州地区で行われた地域演劇の実態を検討するものである。2024年度の課題は以下の通りである。
・「素人演劇」「職場演劇」「組合演劇」ジャンルに含まれる台本の内容を分析するとともに、それぞれの劇団の実態調査を進める。
・オリオン座や文芸座など熊本の地方劇団について資料調査を進め、その活動の実態を解明する。
・「大衆演劇」について、「侠客伝」や「股旅物」ジャンルの台本の検討を進めるとともに、専門家との連携を視野に入れつつ、劇団の実態を明らかにする。

研究成果の概要

今年度はダイザー・コレクションのなかから、台本27点のデジタル化を行なった。今年度までの研究成果は、2024年12月1日(日)に東京経済大学で開催された日本演劇学会のパネル「GHQ占領期における地域演劇の実証的研究:九州地区を中心に」で発表した。なお、各研究分担者それぞれの調査は以下の通りである。
素人演劇・職場演劇・組合演劇については、台本に記載された劇団名や作者などの情報を、演劇専門誌や関係者の著作に含まれる情報と照合し、各劇団の性格を可能な限り特定する作業を行なった。また、地域の演劇活動の検閲申請の実態を調査した。
熊本県の劇団では、戦後の熊本新劇の草創期を支えた劇団文藝座の活動の解明を進めた。主宰の霜川遠志(1916~1991)は戦前ムーランルージュで劇作を学び、執筆した上演台本は15本確認されている。霜川は習作ともいえる『からまつの風』『自らの土地』『ふるさとの風』で、復員軍人や婚約者、農地改革を主題に、戦後改革の中で取り残された人物の葛藤を描いた。彼の作品は、新しい価値観に適応しようとする人々と、古い価値観に縛られる人々との間にある大きな溝を描写している。また、占領期終了後には、これらの習作を再構成した戯曲『田園狂詩曲』(1955)を発表し、戦後社会の分断や暴力性を浮き彫りにしながら、アメリカの占領政策に踏み込んだ視点を示している。霜川の占領期の作品は、同時代の熊本で活動した少女歌劇オリオン座が手掛けた新しい価値観を称揚する作品群とは異なり、その後の時代を先取りする萌芽的な意義を持っていたといえる。これらの研究成果については、8月の近現代演劇研究会および12月の日本演劇学会で報告した。
大衆演劇ジャンルについては、現代でも大衆演劇の劇団が上演している外題と同じ内容のものや、そのルーツと考えられるものがいくつも含まれていることがわかってきた。ダイザー・コレクション以外に台本がほとんど残されていない大衆演劇で、占領期から現代まで同じ内容の外題が変わらず上演されていることが証拠づけられるのは画期的であると言えよう。また、戦前・戦後に九州地区で人気を集めた初代・ 樋口次郎(1906~1970)とその劇団が申請した台本(全66件/58タイトル)について、その内容を精査した。『名月赤城山』など時代劇が多いが、浪曲劇、復員兵を主役とする現代劇、不条理劇などもあり、当時の人気劇団が観客の心をつかむために様々な上演の工夫を行っていたことが明らかになった。これについては12月の日本演劇学会にて発表した。


『職長』(作:藤久勝俊)の裏表紙[GHQ00543]
八幡市で結成された八幡自立劇団協議会が紹介されている。
こうした組織は、当時、全国的に多くの地域で設立されていた。


公募研究課題4

田邊孝治氏旧蔵講談資料の研究


代表者

今岡謙太郎(武蔵野美術大学造形学部教授)

研究分担者

佐藤かつら(青山学院大学文学部教授)
佐藤至子(東京大学文学部教授)
高松寿夫(早稲田大学文学学術院教授)
瀧口雅仁(恵泉女学園大学講師)
菅野竣介(東京大学大学院)

課題概要

田邊孝治氏は講釈師十二代田辺南鶴が行っていた『講談研究』の編集・発行を受け継ぎ、講談に関する貴重な資料を紹介し続けてきた。その田邊氏が残した講談関係資料の内、特に音声資料の多くが早稲田大学演劇博物館に寄贈された。本研究ではその全貌を明らかにすると同時にデジタル化等を通して研究資料として活用されるような手段を講じていく。

研究成果の概要

本年度は、資料の収められている段ボール箱を開梱し、中身の確認・整理・調査をおこなうところから作業にあたった。既に仮目録は作成されているが、その項目と現物とを照らし合わせ、項目に記されている演目・演者との齟齬がないか、また記されている演目・演者以外の音声資料が含まれていないかどうかについて照合を行った。
〇本資料の特色
本資料は、おおよそ以下の五種類に大別される。
① 市販されたレコード、カセットテープ、CD 等の講談演目の音声資料。
② 田邊氏自身がエアチェックしたと考えられる講談演目のカセットテープによる音声資料。
③ 田邊氏が長年主催していた「新進五人会」「俊英五人会」等での口演を録音したと思われる講談演目のカセットテープによる音声資料。
④ 田邊氏自身が取材した際に録音されたと考えられる、講釈師の生い立ち、芸談また演目に関するカセットテープによる音声資料
⑤ 落語、声色など講談に関連する領域に関する市販されたカセットテープ、CDによる音声資料
この他、八ミリビデオ、VHSによる映像資料の少数ながら含まれる。
〇本資料の意義
田邊氏が収集した講談関係の資料は多岐にわたるが、中でも昭和40年代~平成10年代にラジオで放送された講談の音声資料、また講釈師自身に取材した際に録音した音声資料、さらには田邊氏が主催した講談の会の録音した音声資料は他に類をみないと言ってよい。これらの資料の中でも特に貴重と考えられるのは、②~④の田邊氏が個人的に蒐集した音声資料で、録音時の状況から見て他に所蔵があるとは考え難い資料が多くを占めている。例を挙げれば桃川燕雄による「佐倉義民伝」、木偶坊伯鱗による「真田の入城(旗揚げ)」等は演者の活動時期等から見てカセットテープ普及の初期段階で録音されたものと思しい。また桃川若燕「雪時雨三国峠(いかけ松のうち)」等は、カセットテープ普及以前にオープンリールで録音したものをカセットテープにダビングし直したものと考えられる。音質が良好とは言い難いものも含まれているが、研究資料また鑑賞には十分耐えうるものと考えられる。
〇作業進展の経過
今年度は主にしてカセットテープのMP3コンバーターを用いた、手作業でのデジタル化を行い、音質の劣化を防ぐとともに将来的に視聴覚資料として活用できるように準備を行っている。デジタル化の過程において劣化等によりカセットテープが破損する事態も生じたが専門業者に依頼し、最小限の損傷にとどめデジタル化を遂行している。
現段階では仮目録に搭載のある887点のうち、およそ3分の1程度の点数を確認・デジタル化を行った。これにより、これらの音源に関しては音質の劣化を心配せずに今後の調査・研究を進めることが可能になった。一方で残る約3分の2の音源に関しては確認・デジタル化が行われておらず、次年度以降の課題となる。
一方、これと並行して行っている演目自体の確認・同定は、長編演目の一部が多く含まれているためもあり、副題等の設定またどの長編演目のどの部分であるかを同定することが困難な部分もある。これについては、速記等に記された演目との同定を今岡が中心となって行い、現行演目との同定に関しては瀧口雅仁氏を中心に作業を行っている。
作業の進展に伴い、演目の同定には他の音声資料、文献資料との比較検討が必要となることが想定される。そのため今後は大阪公立大学所蔵の𠮷沢英明氏旧蔵の講談速記本、ワッハ上方等諸機関における視聴覚資料等の調査を行い、本資料との比較検討を行う予定である。


公募研究課題5

常磐津節正本板元坂川屋が遺した印刷在庫の概要調査


代表者

竹内有一(京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター教授)

研究分担者

鈴木英一(早稲田大学演劇博物館招聘研究員)
常岡亮(常磐津協会理事、常磐津家元後嗣)
阿部さとみ(武蔵野音楽大学非常勤講師)
前島美保(国立音楽大学准教授)
重藤暁(早稲田大学エクステンションセンター講師)
小西志保(京都市立芸術大学共同研究員)

課題概要

坂川屋は、幕末の1860年に板株を常磐津正本板元の伊賀屋から受け継いで再刊を続け、以後昭和期まで新刊も行い、昭和62年頃まで板木で正本(稽古本)を刷り立てた板元である。この板元が旧蔵し演劇博物館に寄贈されて現存する「印刷在庫」群(刷り立てた正本の在庫および未成品、全47箱、点数は数万点か)が研究対象資料「坂川屋旧蔵常磐津節正本関連資料」である。当該年度は、対象資料の総量の4分の1について概要を調査し、その結果を記録した目録を作成することが主な目的である。

研究成果の概要

2020年から2023年度に、演劇博物館に所蔵された約800点の常磐津節板木(坂川屋旧蔵)を調査した際に、坂川屋の残した印刷在庫が全47箱のダンボールに納められていることを確認した。これらの大半は、出荷前の印刷在庫ゆえ、見た目がまったく変わらぬ1つの印刷物が、数百・数千という莫大な数量で、ほぼ当時の梱包のまま遺っていると考えられる。一度に数百枚を刷り出してそのまま梱包されたもの、それを折って重ねたもの、さらに綴じ穴を開けたもの、表紙をかけたもの/かけていないものなど、刷り出しから製本までの様々な作業の経過が、手に取るようにわかることが、印刷在庫という資料形態の特色である。
今年度は10箱分、約91書目の稽古本在庫を精査し、その中から、彫り・刷りが比較的鮮明な59書目を抜粋して撮影、データ化し、それをもとに、形態の分類や書誌情報を記した仮目録を作成した。なお、同じ書目であるが板木の新旧または刷りの先後が異なる本(いわゆる異版本)を14書目、板木の存在が確認できていない本を37書目、確認することができた。

左から
図1 昭和末期の坂川屋による梱包が保持されている。閉業時の梱包・未成品をどう整理して研究の俎上に乗せるかは難題である。「千代の友鶴」という包みには、その稽古本の丁合前の印刷物が約百組。包みに書かれた数字は、昭和53年12月20日の意か。資料番号[50393]の一部。
図2 稽古本「初恋千種の濡事」中巻(お光狂乱)の未成品[50393-018]。表紙・本文全丁・奥付の丁合を整え、綴じ穴をあけ、最後に糸綴を待つ状態。
右上の紙縒りは1995年の事前調査でつけられたもの。
図3 稽古本「初恋千種の濡事」上巻(お染土手場)の未成品[50393-012]坂川屋板木[29888-430~436]を刷り出したものか。本文全丁と奥付の丁合を整え、綴じ穴をあけた状態(表紙欠)。出荷前の未成品だが、赤・黒の鉛筆で書き込みがある。坂川屋を訪れた実演家たちが稽古や共演での確認事項等を、手近にあった在庫品にメモ書きしてしまった痕跡であろうか。


公募研究課題6

小沢昭一旧蔵資料にみる「日本芸能史」構想についての調査研究

性表現の推移を中心に


代表者

鈴木聖子(大阪大学大学院人文学研究科准教授)

研究分担者

武藤大祐(群馬県立女子大学文学部教授)
垣沼絢子(立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員)

課題概要

小沢昭一旧蔵資料には、新劇俳優の小沢昭一(1929-2012)が出演したラジオ・テレビ・映画・演劇の台本約2500点のほか、草稿、スクラップブック、公演パンフレット、写真、音響映像メディア等が、多くは未整理の状態で収蔵される。本研究の目的は、これらの現状を把握し、整理・分類することを通して、小沢が1960-70年代に構想した「日本芸能史」の文脈を理解しようとするものである。特に、小沢が従来のアカデミズムの「日本芸能史」に対抗すべく、そこでは忌避されてきた性的な要素に着目したことの意義を比較検討する。

研究成果の概要

2024年4月の研究開始時までに演劇博物館によって小沢昭一旧蔵資料の半分以上が目録化されていたことと、1960年代後半の小沢昭一によるインタビューが録音されたオープンリールテープ資料のデジタル化が進められていたことは、本研究の出発点を大きく前進させた。ユネスコが2025年に向けてMagnetic Tape Alertを発信したように、磁気テープは再生不可能になる危険性があるため、世界のアーカイヴ機関でデジタル化の最優先事項と認識されている。
演劇博物館でデジタル化された音声資料群は、このように諸アーカイヴ機関へのモデル事業としても発信しうる価値をもつが、それだけではなく、本研究の内容に関しても重要な資料的価値を有するものである。主なオープンリールテープの内容を分析した結果、これらのインタビュー対象者については、小沢が1960年代に大衆紙『内外タイムス』より依頼を受けてインタビューをした人々のうち、初の著作となる『私は河原乞食・考』(三一書房、1969年)のために、「性」と「芸」に関わる人々を再訪したものであることが明らかになった。中には「錦影絵」など希少な上方芸能の保持者たる初代桂南天(1889~1972)へのインタビュー(小沢と桂米朝による)といった、LP『ドキュメント 日本の放浪芸』(ビクター、1971年)へと結びついた録音資料も含まれている。当該資料については書き起こし原稿も発見され、当時のオーラルな世界と文字の世界との差異を炙り出すことができるため、大阪大学の秋冬学期「音楽学演習」(鈴木)及び2月に開催の研究会で検討した。その他の録音資料についてはその対象者の出自が多岐に渡ることから、それぞれの専門家に音声を聞いて頂き、ディスカッションをする連携調査を試みている。
この一連の録音資料の歴史的文脈を理解するために、小沢によって制作されたスクラップブック資料の詳細な目録の作成を同時並行して進めている。当該資料は、小沢自らが、日本全国の新聞雑誌に書かれた自分に関する記事を業者に頼んで収集し(取引に関連する文書群が発見された)、それら大量の切り抜きをスクラップした、いわば「エゴサーチ」の集積である。彼が常に自己イメージを世に確実に送り出そうとしていたことを跡付ける重要な資料である。今後はこの目録に他の調査中の新聞雑誌記事やパンフレット・台本・写真を関係づけていくことで、小沢旧蔵資料のデータベース構築を有機的なものにしうると考える。

  
左から
図1 初代桂南天へのインタビューが録音されたオープンリールテープ(5号)全4本中の1本[EA00105965]
図2 書き起こし原稿(1960年代後半)[51841]
図3 株式会社日本資料通信社より小沢宛「エゴサーチ」の請求書(1976年5月31日)[51743]