テーマ研究1「日本における中国古典演劇の受容と研究」
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研究代表者 岡崎由美(早稲田大学文学学術院教授)
研究分担者 平林宣和(早稲田大学政治経済学学術院准教授)
川浩二(早稲田大学文学学術院非常勤講師)
岩田和子(早稲田大学文学学術院非常勤講師)
伴俊典(早稲田大学文学学術院非常勤講師)
黄仕忠(中国中山大学中国古文献研究所所長・教授)
傅謹(中国戯曲学院教授)
○研究成果概要(平成25年度)
本テーマ研究の目的は、江戸期~明治に至る間、日本に舶載された中国古典演劇作品やその翻訳・注解・研究に関する資料、また明治~昭和初期に至る間、中国伝統演劇の上演に関しての日本人による記録や紹介・評論などから、日本人が中国伝統演劇をいかに受容し、日中間の演劇を通じた文化・学術交流を形成したか、ということを考察するものである。平成25年度は成果の一環として、『早稲田大学坪内博士記念演劇博物館蔵「水滸記」鈔本翻刻と研究』を刊行した。これは、本テーマ研究で新たに発見された早稲田大学演劇博物館所蔵の『水滸記』日中対訳写本の影印、翻刻に研究論考を付したものである。本写本の書写自体は幕末から明治時期にかけてと見られるが、これに先行して山口大学所蔵の『水滸記』摘訳稿本(徳山藩毛利氏棲息堂旧蔵書)、関西大学長澤文庫千葉掬香旧藏汲古閣刊本『水滸記』上標訓訳本(江戸末期の書肆達磨屋五一の印記あり)が存在し、かつこの三本は、個々に独立して翻訳されたものではなく、山口大学所蔵本→関西大学所蔵本→演劇博物館所蔵本の順で訳文の整理推敲を重ねてきたことがわかった。『水滸記』の翻訳は、現存する江戸期の中国古典演劇翻訳の中では唯一の全訳であるうえ、翻訳作業のプロセスを具体的に見てとれる希少な資料である。
山口大学本は、前半部分の曲辞が抄録の状態で、かつ中国演劇に関する基本知識や語釈の書入れが、他の二本よりも一桁多い三百余件に達しており、まず翻訳者が原文を理解するために書写した翻訳初期の段階であることは明らかである。また、翻訳にあたって、曲辞よりセリフを先行して開始したことがわかる。関西大学本と演劇博物館本は山口本に基づいて、訳語の取捨選択を行い、首尾一貫して読ませる日本語訳文を形成している。
関西大学本と演劇博物館本は体裁が一致し、中国語原文に句点、訓点、送り仮名、ルビ等を施し、傍点やカギカッコ、圏点などの記号を駆使して、曲辞中の襯字やセリフの弁別を行っており、原文読解の詳細な作業を示している。原文左側に付された日本語傍訳は、演劇用語については、「花道」「若女形」「半道悪」など歌舞伎の概念を援用しているが、訳文の文体風格は歌舞伎や謡曲ではなく、むしろ説経節や浄瑠璃など語りもののそれである。江戸期における中国演劇の翻訳には、ほかに『蜃中楼』の摘訳と『琵琶記』の未完訳があるが、『蜃中楼』は、原文のおおよその大意に沿いながらも曲辞を省略したり曲辞とセリフを一律に歌舞伎のセリフに転換するといった、いわば演劇の形態そのものを歌舞伎に「翻案」した受容を行っているのに対し、未完ながら『琵琶記』の日本語訳は対訳に近く、かつその文体はやはり浄瑠璃のような語り物の風格であり、原文の曲辞(韻文)と賓白(散文)の混在する中国古典演劇の形式は、フシと詞から成る語り物の形式の方が翻訳の際になじんだようである。京劇班においては、今年度は主に1919年の梅蘭芳初の来日公演について調査を実施した。その成果の一部は2013年12月21日に実施された成果報告シンポジウムで公表している。