テーマ研究「日本映画、その史的社会的諸相の研究」主催の研究報告会「海外における日本映画の受容と影響 :1960年代から現在まで」のお知らせ

テーマ研究「日本映画、その史的社会的諸相の研究」(研究代表者:古賀太)が主催する研究報告会「海外における日本映画の受容と影響 :1960年代から現在まで」が11月9日に開催されます。入場無料・予約不要ですので、ぜひご来場ください。

海外における日本映画の受容と影響 :1960年代から現在まで

◆日時:11月9日(土)13:20-18:45 (12:50 開場)
◆場所:早稲田キャンパス26号館(大隈記念タワー)地下多目的講義室

◆概要
13 : 20 ? 挨拶 古賀太 (研究会代表)

1  13:30-14:30 
「ドイツにおける日本映画の受容:『七人の侍』から『ユリイカ』まで」 (日本語)
足立ラーベ加代(イェーナ・フリードリッヒ・シラー大学美術史学科)

ドイツには日本映画と徹底的に取り組む映画ファン、制作者、研究者が多い。有名なのはヴィム・ヴェンダースとドリス・デリエであろう。彼らの小津への分析的なアプローチの裏には、映画大学教授ヘルムート・フェルバーの理論教育があった。東ドイツ版「七人の侍」であるフランク・バイヤーの「石の疵跡」はサムライの勇姿のみならず、その精神をも引き継いでいる。クリスティアン・ペッツォルトらベルリン派の映画は、アジアンニューウェイブ、特に青山真治に共鳴する。異国の映画美学を徹底研究し、それをクリエイティブに昇華する、そんなドイツらしい受容について報告する。

2 14:40-15:40
「香港における日本映画の受容と評価:その推移を考える」(日本語)
邱淑? / Yau Shuk Ting(香港中文大学日本研究学科)

50年代に入り、日本映画が国際的な脚光を浴び、以降、香港と台湾の配給会社が日本映画の上映権を争い、香港人もますます日本映画を受けいれるようになった。60年代末期まで、日本映画が大量に香港へ輸入され、ジャンルでは主に、石原裕次郎、小林旭が主演する日活映画をはじめ、東映の任侠映画、あるいは「座頭市」シリーズ、「眠狂四郎」シリーズなど、いわゆる若者の好みにあわせるアクション映画だった。しかし、自主上映活動が台頭したことや、日本領事館、香港市政局の推進により、小津安二郎、大島渚の映画も香港へ紹介されるようになった。本報告は、60年代以降現在まで、香港における日本映画の受容と評価の推移について論じる。

3 15:50-16:50
「フランスにおける日本映画:日本映画の普及に貢献した四人の人物」 (日本語)
ファブリス・アルデュイニ /? Fabrice Arduini
                                    (パリ日本文化会館映画プログラマー)

フランスでは現在、 あらゆる映像媒体において日本映画の普及率が非常に高く、さまざまな時代の作品をどこでも観ることができる。それは偶然の現象ではない。かつての主流、欧米映画に勝るとも劣らぬ日本映画の素晴らしさに目覚め、その普及に熱心に働きかけた人物が存在したからこそである。1960年から2000年にかけてこうした流れに貢献し得た重要な人物は少なくとも四人存在する(アンリ・ラングロワ、マックス・テシエ、ジャン=ピエール・ジャクソン、クリストフ・ガンス)。この四人各々の業績を、質的あるいは量的な側面から論じる。

4  17:00-18:30 
「イタリアにおける日本映画:商業的配給と文化の政治学とのはざまで」(イタリア語、通訳あり)
ダリオ・トマージ / Dario Tomasi(トリノ大学人文学部)

商業的な配給・上映という側面から考察すれば、日本映画はイタリアにおける興行のなかで非常に小さな部分を占めているに過ぎない。しかし、その一方で、ヴェネツィアやトリノのような国際映画祭や、ウーディネに代表されるアジア映画に特化した映画祭など、文化における政治的な力学が作用することによって、日本映画はイタリアのなかで普及してきた。また、こうした文脈においては、現代日本映画の作家たちを紹介し、様々な書籍を刊行してきたトリノ国立映画博物館の担ってきた役割を無視することもできない。本発表では、商業的な側面と文化政治学的な側面との拮抗を通して、1960年代から現在に至る、日本映画のイタリアにおける展開を分析する。

総括コメント 岩本憲児

◆お問い合わせ先
演劇映像学連携研究拠点事務局
Tel: 03-5286-8515 Fax: 03-5286-8516
Mail kyodo-enpaku_atmark_list.waseda.jp
(_atmark_は@にかえて送信してください。)