テーマ研究「日本映画、その史的社会的諸相の研究」
2012年度 第3回研究報告会 「『羅生門』以前以後」

演劇映像学連携研究拠点テーマ研究「日本映画、その史的社会的諸相の研究」(研究代表者:岩本憲児)が主催する公開研究会が、下記の通り開催されます。どなたでも自由に参加できます。

◆日時 : 11月10日(土)13:30-18:00 (13:00開場)
◆会場 : 早稲田キャンパス 26号館(大隈記念タワー)302会議室

◆概要
13:30-14:10 岩本憲児(日本大学芸術学部) 
「『羅生門』公開時の国内評価をめぐって」
『羅生門』公開時の日本での評価は低かった、といまでも言ったり書いたりする人が多い。黒澤自身もかつてそう言ったことがある。はたして当時の日本では低い評価だったのだろうか。日本よりも海外のほうが『羅生門』を高く評価したのだろうか。公開当時の国内評価を再検討し、海外のいくつかの評価と照らし合わせながら、「評価についての受け止め方」に食い違いが起こっていた理由を考えてみたい。

14:20-15:00 蔡宜静(台湾、康寧大学応用日本語学科)
「日本映画の台湾輸出の実態と双方の交流活動について:
第二次大戦戦後から日台断交までの期間を中心に」
本発表では、第二次大戦後から日台断交までの期間(1950年から1972年まで) を中心に、台湾における日本映画の人気の背景を探ってみる。資料としては、『映画年鑑』と『ユニジャパン・フィルム・レポート』による日本映画の台湾輸出に関する記述、そして台湾行政院文化建設委員会発行の『跨世紀台湾電影実録1989-2000』(2005年)ほか台湾側の文献も利用する。日台双方の資料を読み合わせることで、日本映画の台湾輸出の実態を解明し、実質的な交流活動にも着目する。この時期に日台の間に三本の共同製作映画(『秦・始皇帝』(大映・中央電影公司、1962年)、『金門島にかける橋』(日活・中央電影公司、1962年)、『カミカゼ野郎 真昼の決斗』(にんじんプロ・国光影業、1966年)が製作されたので、各自の映画会社の提携内容を考察し、日本映画の東南アジア輸出における台湾の役割を考えてみたい。

15:10-15:50 晏?(明治学院大学言語文化研究所)
「冷戦の狭間で―1950年代の中国における日本映画の受容」
1945年以降、共産党と国民党との内戦が四年間にわたって続いた後、中華人民共和国は共産党によって建国された。それに伴う日中国交の断絶により、戦間期、日本占領エリアの上海、華北、満洲で行われていた日中映画の交渉に終止符を打ち、映画の往来も途絶えることになった。だが、満映に勤めていた一部の日本映画人は、満映崩壊後も中国に残り、満映を接収した「東北電影」で技術の主力として上海映画と一線を画した最初の人民映画の製作に関わり、新中国初期の劇映画とアニメの製作に多大な貢献をした。激動の歴史転換期でも切断できなかったこうした人的交流は、後に『白毛女』の日本輸入を促進しただけでなく、長い伝統のある上海映画と決別し、模索しつつある新中国の映画界に、戦後の日本映画、特に独立プロによる一連の作品に目を向けさせることになる。本報告は、1950年代において、日本映画が中国に輸入される経緯を明かしつつ、さらに言説資料を通して、当時の中国における日本映画受容の実態を浮き彫りにし、冷戦時代の東アジアにおけるこの知られざる比較映画史の一頁を重層的に検証する。

16:00-16:40 古賀太(日本大学芸術学部) 
「マルセル・ジュグラリス:戦後フランスにおける日本映画研究のパイオニア」
マルセル・ジュグラリス Marcel Giuglaris(1922-2010)は、これまで日本を起点にアジアについて報道するジャーナリストとして、あるいはユニフランス駐日代表として戦後日本にフランス映画を紹介した第一人者として知られてきた。ところが彼はドナルド・リチーが日本映画に関する本を1959年発表する3年前に、外国語で初めての日本映画論を書いたことはあまり知られていない。この発表では彼のLe cinema japonais「日本映画」を再評価すると同時に、彼がその後の日本研究に果たした役割について、彼の私家版のMemoires「回想録」や関係者への調査によって明らかにしたい。

16:50-17:50 ハラルド・ザ―ロモン Harald Salomon
(招聘講師、日本語による発表)
(ベルリン・フンボルト大学日本文化研究センター)
「ドイツにおける日本映画の受容:『羅生門』以前」
『羅生門』の世界的な成功以前にも、ドイツ語圏で日本映画が関心を呼び起こした。実際に、1910年代から1940年代にかけて、映画雑誌や新聞などの日本映画界に関する情報が高まっていった。さらに、日独関係の変遷のなかで、相手国の映画作品を鑑賞できる機会も徐々に増えてきた。それに付けても、映画を文化交流の理想的な手段として解釈する日独協会が重要な役割 を果たしていた。本発表では、特にワイマール共和国からナチス時代までのベルリンで開催された日本映画の鑑賞会を概説するとともに、上映された作品の受容についてさらに探求したい。

◆お問い合わせ先
演劇映像学連携研究拠点事務局
Tel: 03-5286-8515 Fax: 03-5286-8516
Mail kyodo-enpaku_atmark_list.waseda.jp
(_atmark_は@にかえて送信してください)