公募研究1「日本における記録映画の受容についての史的考察」
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研究代表者 奥村賢(いわき明星大学人文学部表現文化学科教授)
研究分担者 川村健一郎(立命館大学映像学部准教授)
佐崎順昭(東京国立近代美術館フィルムセンター客員研究員)
○研究成果概要(平成22年度)
(1)日本の記録映画とドイツのクルトゥーアフィルムとの影響関係の解明について
現地調査でオリジナル版と日本公開版が比較可能になり、字幕をのぞき、公開段階での編集はほとんどなされていないことが確認された。これによってドイツのクルトゥーアフィルムの影響が映像表現に関するかぎり、ほぼ直接的なものであることが判明した。クルトゥーアフィルムの輸入、配給の経過に関しても、東宝東和社長・川喜多長政氏関連の資料をドイツで発見したことで、より詳しい内容を知る手掛かりを得た。
(2)15年戦争期における文化映画、ニュース映画の受容について
当初、巡回上映に焦点をしぼり、当時の文化映画、ニュース映画がどのように観られていたかを考察することを考えていたものの、その前提として、太平洋戦争期に製作が奨励された「戦記映画」のジャンルとしての機能を明らかにすることが不可欠とわかり、その作業に力点を置くことになった。これまで、『マレー戦記』など個別の作品に触れる研究はあったが、一連の「戦争記録もの」を取り上げ、そのジャンル的特質に触れる考察は初めてのものである。「戦記映画」の中には興行的に成功した作品もあったが、その背景に強制的な鑑賞があったことも知られている。今回の調査でクロース・アップの位置づけなど、戦記映画における映像表現の特徴があきらかになったことで、誰が、どのようにこうした映画を観たのかという受容全体の問題についてより深く研究を発展させていくことが可能になった。
(3)「文化映画研究」(1938-1940)、「文化映画」(キネマ週報社, 1938-1940)、「文化映画」(映画日本社, 1941-1943)の目録化について
「小畑文庫」で3雑誌を複写し、データベース化に着手。その際、目次からだけでなく、記事内容を読み込んだ上で、人名や作品インデックスを附すことを考慮した。1938年から1943年という映画法施行前後における「文化映画」の主要な言論動向をより具体的に把握することができるようになった。